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緑の騎士 -2-
 マリアンネは、左手に下げた桶を軽く振りながら、井戸へ向かった。
 後ろでごちゃごちゃ言っているようだが、聞く気はなかった。 どうせ悪口にきまっているのだ。 連中は昔から、がさつで乱暴なことを言い散らす。 でも、大して悪気があるわけではなかった。



 子供の頃から、三人とは知り合いだ。 年が近いせいもあって、ほんの小さい頃には一緒に遊んでいた。 野ウサギ穴の見つけ方を教えてくれたことを、シギスムントは覚えているだろうか。 それに、草を結んで作った罠を忘れて、ヨアヒムが自分でかかってしまい、みんなで腹を抱えて笑ったことを。
 いまでも、こっちが愛想よくすれば、彼らは普通に接してくれるだろう。 遠ざけたのは自分のほうだった。 


  ずっと置き去りにしていた昔が、不意に活き活きと記憶に蘇ってきた。 いろいろ思い出しているうち、ドンと何かに突き当たった。 見ると、井戸の縁だった。
 とたんに、なごんでいた瞳が現実の光を取り戻した。 過去は過去だ。 今の自分は、あの頃とは違う。 戻りたくても、もう生き方が変わってしまったのだ。
 右手を懐にそっと入れると、マリアンネはお守りを握りしめた。 十四歳の夏からずっと、肌身離さず持ち歩いている物だ。 マリアンネにとっては、首にかけた母の形見のロケットと同じくらい大事だった。
 口をキュッと結んで、マリアンネは井戸の滑車に手をかけ、鎖を勢いよく巻き上げ始めた。


 水を汲みなおした後、マリアンネは、五分ほど井戸の脇で時間をつぶしていた。 さっきの三人がマリア姫を迎えるために城外へ去っていくのを待っていたのだ。
 そんなに用心したにもかかわらず、いざ裏庭へ引き返すと、真ん中辺りにシギスムントが一人でぽつんと立っていた。 マリアンネは更にしかめ面を作って、ぼそぼそと歩いていった。
 角を曲がってきたマリアンネを認めたとたん、シギスムントは大股でやってきて、ひったくるように桶を取り上げた。 マリアンネは驚き、引っ張り戻そうとした。
「これは私が……」
「運んでおいてやるよ。 俺たちがこぼしたんだから。 西塔の台所へ持って行くんだろう?」
「そうだけど、でも……」
 なんでまだここでぐずぐずしているのか。 マリアンネは手もちぶさたに立ったまま、小声で質問した。
「マリア姫の迎えは?」
 シギスムントの口が尖った。
「急ぎの使いが来て、中止になった。 そのことで、ヤーコブ様が君に話したいって。 今すぐ」
 マリアンネはたじろいだ。 たぶん、ろくなことじゃない。 嫌な予感がした。
「私に?」
「そうだ。 無理にでも連れてこいと言われた」
 この城で、ヤーコブ城主の命令は絶対だ。 また肘でも捕まれて連行されてはかなわない。 マリアンネは仕方なく承知した。
「行くわ。 どこの部屋?」
「二階の広間の奥にある小部屋だ。 あ、ちょっと待っててくれ。 これを運んだら俺も行くから」
 そう言うと、シギスムントは羽が生えたように軽々と桶を両手に持って、西塔に入っていった。






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