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  待ち焦がれて 12


 まるでドミノ倒しのように、これまであった秩序が次々に突き崩されていった。 エリナーは本当に、ヴィクター・ケッセルの息子で既婚者のバーナードと旅に出てしまった。 駆け落ちというより、嫌がらせの小旅行という感じだが、残された婚約者のライオネルは立場がなく、毎日のようにジュリアの元に来ては、二人がどこへ行ったか情報は入らないのかと、おろおろと訊いてきた。
  それだけでも頭が痛いのに、暇人の求婚者2人、つまりパトリックとエディが、日がな一日ブルックボロを訪れて牽制しあうようになって、ジュリアには自由時間というものがかけらもなくなってしまった。
  その上、留守の間に雑務が山のようにたまっていた。 つけで品物を買っている商人への支払い、雇い人の給料、小作人からの作物の徴収、すべてがいい加減で、おまけに消え失せている領収書があり、終いにジュリアは、泣き言を言いに来たライオネルをつかまえて手伝ってもらったほどだった。
  計算能力の乏しいエディはともかく、パトリックは頼めば喜んで、恩に着せながらも助けてくれただろう。 だが、彼に頼むのは死んでも嫌だった。 そんなことをすれば婚約を認めたことになる。 意外に頑固なエディのおかげで、スタートライン近くまでパトリックを押し戻せたというのに。
  父親のゴードンはもう怒りが醒めて、今では面白がっていた。 2人の若者を競わせて、娘を少しでも高く売ろうと考えているらしい。 ジュリアが、どちらとも結婚したくないと口をすっぱくして言っても、軽く聞き流して言うのだった。
「選べるようになっただけ、ましだろう。 確かにエディもまずくない。 キャラハン家はいい水場を持っているしな。 あいつにするか?」
  しまいにジュリアは頭痛がしてきて、小間使いのマリーに薬草を取りに行かせる羽目になった。

  疲れきったジュリアが、パトリックよりは良いというだけの理由で、エディとの結婚を考えはじめた頃、最後の、そして最大の事件が起こった。 どうやらロンドンやマンチェスターなどの大都市を遊び歩いていたらしいエリナーが、家に戻ってくる途中で、逮捕されてしまったのだ。

  エリナーが連れていった従者が、馬を飛ばして戻ってきて報告したとき、初めジュリアは頭から信じようとしなかった。 エリナーとバーナードを逮捕? それも今どき、姦通罪で?
  教会は表向き、道徳を厳しく説いていたが、一般の風潮はおおらかだった。 《ライ麦畑でつかまえて》という歌が表すとおり、若者たちはほぼ自由恋愛で、大人たちも似たりよったりだ。 だからジュリアが『駆け落ち』したとき、後の世ほどの騒ぎにはならなかったのだ。
  しかも、2人を捕まえよと命じたのがデルマイア公だと聞いて、ジュリアはただただあっけに取られた。 いったいなぜ、あの静かで理性的なディックが、こんなことを……!
「あの殿様は、もとが坊さんだからね」
  従者のポール・ペリーがいまいましげに言った。
「町の道徳が乱れきってるとか何とかいきまいているそうで。 このままだとエリナーお嬢さまは牢屋に入れられっぱなしになりそうです」
  無茶苦茶だ! ジュリアにはそうとしか思えなかった。 わずか一ヶ月の間に、彼女の周りは大混乱に陥って、これが最後のとどめだった。
  ほとんど聞き取れない声で、ジュリアはささやいた。
「いったいどうすればいいの」
  ペリーは肩をすくめた。
「どなたかが嘆願に行くしかないですね」
  どなたかって……他に誰がいるの? あまりのつらさに、ジュリアはわめき出しそうになった。 父は、あまり家族に愛情のない人だから、たとえエリナーがしばらく牢獄行きになっても、頭が冷えていいだろうぐらいのことしか言わないだろう。
  ――とすれば、私……この私が、あのディックに、たぶんうちの一家にあきれ果て、軽蔑しているリチャード卿に、会いに行くしかないの……?!――


 ファルマスのほぼ中央部にあるデルマイア公の館には、ジュリアと同じように嘆願をしに来た人々が何人も、順番を待っていた。 ジュリアは椅子の端に腰かけ、うつむいて眼を閉じ、懸命に祈った。 ふつつかな妹ですが、どうぞいじめられていませんように。 デルマイア公の機嫌が今日は特によくて、素直に恩赦を認めてくれますように。
  後半はとても怪しかった。 突然強硬手段に打って出るとは、おそらくエリナーの振舞いが相当目に余ったのだろう。
  人々の列は次第に人数を減らしていく。 それにつれて太陽の傾きも増し、光がすっかり弱くなって西の空に消えていった。
  窓の外が漆黒の闇になったころ、ジュリアの前には誰もいなくなった。 いつの間にか一人で残されていることに気付いて、ジュリアは唇を噛んだ。 昼前から待っているのに、一番後回しにされている。 それだけ嫌われているのかと思うと、胸が強く痛んだ。
  石の階段を、きりっとした表情の青年が下りてきた。 彼は、固くなって座っているジュリアに近づき、おだやかな低い声で話しかけた。
「お待たせしました。 どうぞこちらへいらしてください」

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