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  待ち焦がれて 10


   翌日さっそくジュリアがしたのは、一通の手紙をエディ・キャラハンに送ることだった。
  午後の2時、さわやかな風の中を愛馬ルレーヴにまたがって、ジュリアはムーアズエンドの森に向かった。 森の外れ、特徴のある岩が並んでいる辺りに、すでにエディの姿はあった。
  少年姿に身をやつしたジュリアを目にすると、エディは喉を詰まらせた。
「ジュリア……」
「道中の安全のためと、それに追っ手がかかったら速く逃げるため。 横乗りなんかしてたら落馬しちゃうわ」
  ジュリアに手を貸して馬から降ろしながら、エディは不安そうに言った。
「でもジュリア、それはいくらなんでもまずいだろう」
「いいの」
  きっぱりと言い切って、懐からずっしりした金袋を出してきたジュリアは、すでにエディの知っている模範少女とは別人になっていた。
「ここからファルマスまでは2日、長く見ても3日で行けるわね」
「行けると思うけど」
「行きだけ送ってちょうだい。 ファルマスの町で、どうしても会わなければならない人がいるの」
  そう、ジュリアは悲壮な決心をして、家を出てきたのだった。 夜会で顔を合わせなければ、あきらめがついたかもしれない。 だがディックの正体を知った今、いつでも会おうと思えば会いにいけるとわかってしまった今、 もうジュリアは彼なしではいられなかった。
  ディックが彼女を受け入れてくれるかどうかわからない。 たとえ迎えいれてくれても、愛人ということになってしまうのは覚悟の上だった。
「でもジュリア、これは……」
「私、何としてもパトリックから逃げたいの。 そのためなら何だってする!」
  エディは言葉通り受け取ったらしく、すぐ気を取り直して面白がり始めた。
「そうか。 君は前から彼を嫌っていたっけね」
「彼の方が私を嫌ってたの。 それなのに今になって、この辺で家柄財産がつりあうのは私だけだなんて言い出して!」
「哀れな男だ」
「哀れ?」
  変な相槌の打ち方にジュリアが目をむくと、エディはあわてて、横の木につないであった自分の馬を連れてきた。

  晴れた気持ちのいい日だったので、人々は外を出歩いていて、ジュリアの姿が消えたのは夕方までわからなかった。 最初に心配しはじめたのは、いつも文句をつける相手がいないことにいち早く気付いた父親だった。
  9時を過ぎ、戸外が真っ暗になった時分には、エリナーも心配の輪に加わった。 あたふたしたゴードンは、下男をウッドワード家に走らせて、ジュリアの行方不明を知らせた。 しかし、パトリックは動かなかった。 領主代理の許可を得たことで、磐石の基盤を手に入れたと思っているらしい。 またちょっと道に迷っているだけでしょう、という冷淡な返事を受け取って、ゴードンは頭を抱えた。

  翌日、キャラハン家からエディが無断で消えていることが発覚して、初めて騒ぎは本格的になった。 そういえば昔から2人は仲が良かった、密かに愛し合っていたのではないかと言い出す者が出てきて、ますます事態は混沌としてきた。
  混乱に拍車をかけたのはエリナーだった。 姉が連れて逃げた相手が、エディ・キャラハンだと知ったとたん、眼が吊りあがり、怒り心頭に発した。
「お姉さまはいつでもそう。 私がいいなと思った人を次々に横取りして! いいわ、勝手にすればいい。 私も好きにさせてもらう!」
  そして、おろおろしている父を尻目に、隣接した領地の持ち主、ライオネル・ハドソンを引っ張ってきて、一方的に婚約と跡継ぎ宣言をした。
「これからは私がここを取り仕切ります。 お姉さまにできて、私にできないはずはないわ!」

  エリナーの統治下一週間で、ブルックボロの住人は音を上げた。 彼女は、愚かというわけではないのだが、気まぐれで忘れっぽく、行き当たりばったりで指示を出すため、同じ仕事に2人が重なったり、やるべきことを誰もしなかったりした。
  間違いを正すと癇癪を起こすので、誰も忠告しなくなった7日目、遂に事件が起こった。
  農場の雇い人サムが、のっそり母屋に入ってきて告げた。
「夕立が降ってますだ。 羊どもを柵に入れないと、ぬれた草を食って腹下すと思いますが」
「わかった。 トミー、トミーはどこ?」
  あいにく下働きのトミーは父の命令でジュリア捜索に加わっていた。 それを知るとエリナーはぷっとふくれ、愚痴を言い始めて、肝心の羊を忘れてしまった。
「お父様は私のことなんかちっとも考えてくれないのよ。 雇い人が半分もいなくちゃ、農場の世話なんかできっこない。 こんなに駈けずりまわっているのに、誰も私の苦労なんかわかってくれない」
「エリナー様。 それじゃ他の誰かを……」
「誰がいるっていうのよ! 私に羊を追えとでも? テディもカートもいないのよ」
「ラリーが確か」
「ラリーはだめ! これからスタンリーさんの家に行くんだから、見栄えのするラリーが御者をしてくれなかったら、私体裁が悪くって」
「でもエリナー様! わしと犬だけじゃ羊全部は集まりません!」
「ええと、しょうがないわね! 自分で考えなさい、自分で!」
  エリナーは知らなかった。 大家の雇い人は自己の判断で動いたりしないのだ。 後で責任を取らされるからだ。
  結局、サムは自分の受け持ちの羊だけを柵に入れ、後は放っておいた。 その結果、羊たちは腸炎を起こして次々と倒れた。

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