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  待ち焦がれて 5

 1時間以上歩き、曇り空が濃い灰色から銀色に変わり始めたころ、ジュリアはようやくブルックボロ荘園の外れにたどりついた。 こんもりとした林を抜け、ヒースの間の小道を通って低い石垣まで行けば、安心して腰を下ろして休める。 ほっとしたジュリアが、再び元気をかき集めて足を前に出したとき、茶色の馬に乗った灰色の姿が、まっすぐな小道の向こうから勢いよく走ってくるのが見えた。
  馬はジュリアのすぐ手前で急停止させられ、大きく竿立ちになっていなないた。 急いで横の木の陰に身をよけながら、ジュリアは硬い声で馬上の男に呼びかけた。
「無茶しないで。 馬の脚が折れてしまうわ」
「無茶は自分だろう」
  冷たい、鼻にかかった声が落ちてきた。 灰色の服の男、パトリック・ウッドワードは両足をそろえて馬から飛び降り、ジュリアに近づこうとした。
  ジュリアは彼がそばに来るまで待ってはいなかった。 もともと粗末な生地の上に水濡れしていっそうごわごわのマントを、両手で胸元に引き寄せて、さっさと歩き出した。
  ジュリアが徒歩なので今更自分だけ乗るわけにいかず、パトリックは馬の手綱を取って、並んで歩き始めた。
「この2日間、どこにいた?」
  頭をさっと振り上げて、ジュリアは言い返した。
「あなたに話す義務はないわ」
「あるさ! 婚約者だぞ」
「私は承諾するとは言ってない」
「お父上は、させると言った」
  我慢できなくなって、ジュリアは勢いをつけて振り向くと、パトリックの整った顔をまともに睨みつけた。
「なによ! 私に一言も言わずに、いきなり父に申込むなんて!」
「世の中、そんなものだろう?」
  パトリックは平気だった。 ますます腹が立って、ジュリアは大声になった。
「だいたい、この5年ぐらい、私はあなたから悪口と嫌味しか聞いた覚えがないわよ。 ウッドワード家は嫌いな女と結婚したがる趣味があるわけ!」
「相手がこの辺りで3番目の大地主の跡取り娘ならな」
「私はたとえ国一番の大金持ちでも、嫌いな男の妻になる趣味はないの!」
  2人は立ち止まってにらみ合った。 だがパトリックの方がふっと力を抜き、余裕の笑みを浮かべた。
「見ているがいい。 君に別の道はない。 今度だって、たぶんジャックと駆け落ちしようとしたんだろうが、結局尻尾を巻いて帰ってきたじゃないか。 しょせん君には無理なんだ。 親に逆らって家出するなんて」
  そう言うなり、彼は再び馬に飛び乗った。 そして、あざけるように言い残した。
「勝手なことをした罰だ。 歩いて帰るんだな。 じゃ、ごゆっくり」

  怒りで煮えくりかえったので、かえって元気が出て、ジュリアはしゃきしゃきと活発な足取りで館の門をくぐった。
  すぐに小間使いのネリーが飛び出してきて出迎えた。
「ジュリア様! まあまあ、ひどい格好で!」
  そう言われて改めて見直すと、スカートには泥はねが上がっているし、マントはしわくちゃだった。
「すぐ着替えるわ。 悪かったわね、あなたの服をこんなにしちゃって」
「いいんですよ。 それに、服どころじゃありません。 殿様がひどくお腹立ちで、ジュリア様が戻られたらすぐに呼べと」
  急に空元気はしぼんだ。 疲れがどっと襲いかかってきた。 それでも何とか胸を張って、ジュリアは奥にある父の書斎に歩き出した。

  ノックすると、パトリックに優るとも劣らない冷ややかな声が戻ってきた。
「誰だ」
  息を吸い込んで、ジュリアは答えた。
「私です」
「入れ」
  重い気持ちでずっしりしたドアを開けたジュリアは、父がガウン姿のままなので、少し驚いた。 ゴードン・ウォルターズは、何でも1インチ刻みに実行するのが好きな人間で、たとえば聖書を置く位置はここ、燭台はここ、夕食はきっかり夜の8時、と、決まりごとを数限りなく作っていくタイプだった。 そして何よりも謹厳に守るのが、日が出ている時間帯はガウンを着ない、という習慣だったのだ。
  ゴードンはじろりと娘をにらみ、言い放った。
「どの面さげて戻ってきた」
  ジュリアは努力してまっすぐ父の目を見返し、でるだけ冷静に答えた。
「道に迷ってしまいました」
  ある意味、たしかに嘘ではなかった。

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