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  待ち焦がれて 4

 翌日はパレードが出た。 遅くまで騒いだため寝坊した二人が、ベッドの上で体を寄せ合ってうとうとしていると、賑やかな歓声が近づいてきた。
  ジュリアは眼をこすりながら起き上がり、窓から覗いた。 すぐにディックも身を起こすと、背後からジュリアを抱きかかえて外を眺めた。
  子供たちのはしゃぐ声に先導されて、グロテスクなほど大きな頭の聖人像が、揺れながら行進していく。 花火の音、物売りの声、人々の掛け声が混じりあい、切ないような躍動感を生み出していた。
  背後に重心をかけて男にもたれかかりながら、ジュリアはささやいた。
「準備に3ヶ月はかかるんですって」
  大きな右腕でジュリアの胸を一巻きしながら、ディックも囁き返した。
「祭りは仕掛花火と一緒だな。 据付に長くかかって、あっという間に終わる」
「そして人々は長い冬を楽しい思い出に生き、春になるとまた準備を始める」
「冬か…… 闇を舞うひとひらの雪にも、かのひとの想い出がまつろう」
  不意にディックが口ずさんだのは、最近人気の高い匿名詩人の恋歌だった。 そしてたまたま、ジュリアもその続きを知っていた。
「空を舞う一介の鳥にも、かのひとの歌声が重なる」
  やさしく続けたジュリアの声に、ディックの表情がすっと変わった。 ほんの小さな反応だったので、ジュリアは気付かず、首をかしげるようにしてパレードの続きを見守っていた。
  ディックは囁くように暗誦し続け、一区切りごとに言葉を切って、ジュリアに次を言わせた。
「忘れじの面影、今も胸に刺さり」
「頬に散りしバラ色、永久に心うずく」
「ああ、わが愛しの乙女、そはいずこに」
「海に溶け、風に流れ、虹色の霧となりて、
いついつまでも御身のもとに」
  男の両腕がジュリアの胴に回り、情熱的に抱きしめた。


 蝋燭を片手に古い書庫を探し回っていて、不意に明かりが消えた、という夢を見て、ジュリアは夜明け前に目を覚ました。
  まだ辺りは真っ暗だった。 はだけた胸に顔を埋めて眠っている男の姿も、うっすらとした黒い影にしか見えない。 暗闇の中で天井を見つめながら、ジュリアはかりそめの恋人について考えをめぐらせた。
  この男性は兵士ではない。 指が長く、デリケートで美しいところから見て、農民でもない。 ジュリアがこれまで接した男性の中では、僧職者にもっとも近い感じがしたが、何かが微妙に違う気もした。
  ともかく、恋愛詩をなめらかに口にして、少しも歯が浮くようなところがないのは大したものだった。 よほど恋愛に長けているのか、それとも美しいものを美しく表現できる生まれつきなのか。
  彼を起こさないように注意しながら、ジュリアは深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。 ディックと共にいると、こんなに心が広がる。 生涯初めての解放感に、ジュリアは目まいさえ感じていた。
  だが、すべてには終りがある。 2日間、ジュリアは夢の世界に遊んだ。 彼女としてはぎりぎりの放蕩三昧〔ほうとうざんまい〕だった。 だがおそらく荘園では大変な騒ぎになっているはずだ。 お付きが飛んで帰って見つからないと報告したときから、捜索が始まっていると思われた。
  そっと身を引いて、ディックの頭を枕に載せたとき、胸に鋭い痛みが走った。 もうこの人とは二度と会えない。 初めて身も心も、そう、心までも捧げた人だが、行きずりの旅人のものにはなれないし、彼も望んではいないだろう。
  記憶はあてにならないあやふやなものだ。 もう一度だけこの人の顔を眺めて、少しでも確かなものにしておきたい、と願ったジュリアだったが、暗いうちに姿を消さなければならないのだから不可能だった。
  逃げ出すのは簡単だ。 相手は熟睡しているし、ジュリアの持ち物はマントだけだ。 このままそっと出ていけば……

  外に忍び出たとき、夏の夜にしては空気が冷え、空一面に星がまたたいていた。 宿の横を過ぎるとき、馬屋の奥で、ディックの馬がいなないた。 びくっとしたジュリアは、小走りで、まだ隅のところどころに酔っ払いが折り重なっていびきをかいている通りを急ぎ、町外れに消えていった。

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