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 これだけはどうしても叶えてほしいと、珍しくハーミアが言い張るので、気が進まないながら、チルフォード夫妻は短い旅の支度にかかった。

 もう下草はすっかり茶色に変わり、落葉樹は葉を落とし切って、魔女の箒に似た姿を寒空にさらしていた。 アシュダウンのとぼけた冗談やラルフの陽気な笑い声の響かない馬車は静かで、重い空気さえただよっていた。
 前の旅と同じく、一家はトレッドミルで休憩することにしたが、それもハーミアが強く主張したためだった。 ユーナは娘が気を遣いすぎると思い、なだめようとした。
「今日は気分がいいのよ。 きっとあなたと一緒に旅ができるからだわ。キース。 無理に駅舎に立ち寄らなくても」
「後で疲れがたまったら大変ですもの。 休んでね、お母様」
 当惑したユーナはキースと顔を見合わせたが、少し急がせた分、馬を休ませる必要があるかと思い直し、馬車を低く広がった建物の前に止まらせた。

 馬車を降りるやいなや、ハーミアは小走りで食堂に入り、相変わらずカウンターで酒をついでいたブルドック顔の主人に小声で呼びかけた。
「あの、レイモンドさんのおうちをご存じ?」
 主人は口の片端を吊り上げるようにして、ハーミアをまじまじと見た。
「知ってますよ。 まあ一応はね。 前にお見かけしましたね、お嬢さん。 そのきれいな顔は忘れません」
 彼の口調は、暗にカークとは関わらないほうがいいと仄めかしていた。 だが、ハーミアは小さな手提げから銀貨を取り出して、そっと主人の分厚い手にすべり込ませた。
「教えてくださったら恩に着るわ」
 銀貨と可憐な顔とを見比べた後、主人は迷いを吹っ切った。
「まあ、そんなに知りたいというなら。 この前の道を左へずっとお行きなさい。 馬で五分ほどで分かれ道に出るから、それを右に。 間もなく古い立派なお屋敷が見えてきます。 それが『ラムズコート』、レイモンド家でさあ」
「ありがとう」
 ユーナをエスコートしながらキースが入ってくるのが見えたので、ハーミアはすばやく囁くとカウンターを離れようとした。
 その耳に、意外な言葉が飛び込んできた。 主人が銀貨をポケットに入れながら付け加えたのだ。
「だが、何も家まで行くことはない。 あの紳士方はよくここに入り浸っててね、昨日は珍しく来なかったから、もうじき顔を出すんじゃないでしょうかね」

 早足で戻ってきたハーミアを、キースは不審げな眼差しで迎えた。
「どうしたんだ。 先に走り出したり、あんな下世話な者となれなれしく話をしたり。 いつものお前らしくないぞ」
「ごめんなさい、お父様」
 気もそぞろに、ハーミアはぼんやりと答えた。
「ちょっと約束があって。 すぐ済むわ。
たぶん」



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