表紙へ
表紙目次前頁次頁総合目次

42

 ラルフの表情が静止した。
 仮面のようにまったく動かなくなった顔の中で、眼だけが溶鉱炉のように燃えあがった。
「約束……? 誰かと生涯を誓ったと?」
「申込まれて、受けたのです」
 かろうじて、ハーミアは声にすることができた。
 その言葉と同時に、ラルフの腕が離れた。 触れれば音がするほどの緊張が張りつめていたが、ラルフは自制心を総動員して、穏やかな調子を崩さずに告げた。
「それは、おめでとう。 君の心を得ることができた男は、世界一の果報者だ」
 もう限界だった。 ラルフが歩み去っていくのを目で追っていて、ハーミアは思わず足を踏み出した。 だが彼は豹のように音も立てずなめらかに階段を下りていき、すぐにハーミアの視野から消えた。

 ゆっくりと、ハーミアは指を折り、拳を固く握り締めた。 そして、自分に言い聞かせた。
「泣かないの。 泣いては駄目。 眼を泣き腫らしてお父様とお母様を心配させるようなことは」
 階段を下りきって打ち合わせ通り裏口に出るまで、幾度も顔が引きつりかけたが、ハーミアは何とか耐え抜いた。 そして、危険な馬車を乗り捨てて別の馬車で戻ってきていた両親に、笑顔まで見せて歩み寄った。
「ハーミア!」
 不安でおろおろしていたユーナが、真っ先に両手を広げてハーミアを抱きよせた。
「無事だったのね。 よかった!」
 母を抱き、父の伸ばした手を握り返して、ハーミアはようやく、恐ろしい敵を倒すことができた事実を実感した。 それは、全身から力が抜けるほどの安心感だった。
「皇太子殿下が、ローワン長官を問いつめてくださったの。 逃げ場がなくなって、長官は拳銃で自害したわ」
 ユーナはぶるっと全身を震わせた。
「なんて恐ろしい」
「正義が勝ったんだ。 ずいぶん長くかかったが」
 キースは娘の肩を優しく撫でた。

 翌日の新聞に、ダニエル・ローワン長官の死亡記事が載った。 激務のため、かねてより頭痛を訴えていた長官が、昨夜脳出血のため自宅で息を引き取った、という内容になっていた。


 二日後、そろそろ普通の生活に戻れると喜んでいたチルフォード夫妻は、ハーミアが改まった顔で申し出てきたことに少なからず当惑した。
「お父様、それにお母様。 私、アレンマスへお墓参りに行きたいの。 すべてが終わったことを報告しないと、どうにも気持ちが収まらなくて」
 その眼の下には、うっすらと影ができていた。  あまり満足に寝ていないことを、その隈が問わず語りに物語っていた。


表紙目次前頁次頁

Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送