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 マッコールがローワンを案内していったのは、右翼の二階にある広間だった。 象牙色のカーテンとマホガニーの家具、それにホニトン織りのレースで飾りつけられた優雅な部屋に残されたローワンは、まだ誰もいないので、思いに沈みながらゆっくりと歩き回った。
――もう馬車は転覆しただろうか。 結果は明日にならなければわかるまい。 それにしても、何か気持ちが落ち着かない。 天候のせいだろうか――
 続き部屋のドアが小さな金属音を発したので、ローワンは姿勢を正した。 だが、中から現れたのは陽気な皇太子ではなく、黒い野性的な瞳をした美しい青年紳士だった。
 彼がドアを半ば開けたまま入ってきたのを見て、ローワンの鋭い顔が、一段と厳しい表情になった。
「なんだ、君は。 わたしは皇太子殿下をお待ちしているんだ。 それを勝手に入って」
「わたしがおわかりですか?」
 青年は面白そうに尋ねた。 ローワンはぐっと顎を引いた。
「知らん。 どこかで見かけた顔だが、名前などわからん」
「では改めて自己紹介させていただきます。 ラルフ・バートン。 元近衛の中尉で、現在は」
 ゆっくり笑顔が消えた。
「治安維持の特別捜査を担当しています。 国王陛下直属です」
 さすがにローワンの表情が強ばった。
「国王の……」
「はい。 そして、こちらが」
 すっとドアの陰に手を差し伸べて、ラルフはブルーのドレスに身を包んだハーミアを引き入れた。
「ハーミア・チルフォード嬢。 以前の名前はマリー・アンヌ・デマレ侯爵令嬢です」

 ローワンの手が、近くにあったテーブルの角を固く掴んだ。 それでもほとんど表情を変えなかったのは、さすが肝の据わった悪の元締めだった。
 ハーミアの腰にしっかり手を回して支えながら、ラルフは話を続けた。
「今から十年と少し前、令嬢の家族三人は革命を逃れ、密航船に乗りました。 しかし、船は偽の灯台に引き寄せられて岩に乗り上げ、ばらばらになったところを海賊に襲われて、乗客はほぼ全滅しました」
 ラルフの唇が、押えきれない嫌悪に震えた。
「教えてください。 どうやって、雨の中でも火が消えないように細工したんですか? わたしは多分、生石灰を使ったと推測したんですが。 あれなら手に入りやすいし、水と混じると高熱を発して、上にかけた藁が発火しやすくなります」
「なぜそんなことをわたしに?」
 ローワンはすぐに体勢を立て直し、反撃に出た。
「海賊のしたことなど、知りようがない。 わたしにそれ以上無礼な真似をするなら、断固決闘を申し込む!」
「決闘は紳士と紳士がするものです」
 ハーミアの憎しみをこめた声が、空気を裂いた。

 ようやくわかった仇を、射通すような視線で見据えながら、ハーミアは一歩進み出た。
「あなたは紳士じゃない。 それどころか、人間という名に値しない! 州の治安を守るべき長官が人殺しをして、しかもその血まみれの金で、大臣の地位を得ようとするなんて!」


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