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 城の中は惜しげなく並べられた蝋燭の光で白銀色に輝いていたが、外では風が吹き、不気味なほどの暗闇が広がっていた。
 カーテンをわずかに開いていた手が、ゆっくりと下ろされた。 銀と黒の立派な指輪が中指にしっくりとはまっている。 その手の持ち主も、なかなかに際立った顔立ちだった。 猛禽類〔もうきんるい〕を思わせる山なりの細い鼻、薄い唇、そして鋭く光る目。
 その目は少し前まで、暗がりの玄関から出立する箱馬車を眺めていた。 はっきりとは見えないが、数人が乗り込んだところも見定めていて、酷薄そうな口元に冷たい笑いが浮かんだ。
 これまで用心に用心を重ねてきた。 襲った船の乗客は一人残らずあの世に送った。 それも事故に見せかけて、できるだけ官憲に疑われないようにして。
 子供が生き残っていたのは予想外だった。 後から始末したのでは目立つと思い、ためらっているうちに、金持ちに引き取られてしまうという番狂わせが起きた。
「たった七歳のチビだ。 何も覚えていないだろうとたかをくくっていた。 失敗だったな」
 歯を強く噛みしめて、ケント州長官でありまた未来の大臣候補でもあるダニエル・ローワンは、控え室のテーブルに拳を打ちつけた。
「まあいい。 あと十分もすれば馬車は転覆し、引っくり返って乗客の命はない。 たとえ重傷ですんだとしても、召使を買収して枕で息を止めさせれば、すぐに片付く」
 ほとんど聞こえないほど小声でぶつぶつ言いながら、ローワンはひとしきり部屋を歩き回った。
「落ち着け。 すべてうまく行く。 行かなくてどうする! 湯水のように金をつぎ込んで、ようやく大臣の椅子が見えてきた今になって」
 扉がゆっくり開いたので、ローワンはぎょっとなって立ち止まった。
「誰だ!」
 廊下から覗いたのは、マッコールだった。 一緒に城へ来た知り合いで、シティで銀行を営んでいる男だ。 彼が驚いた顔をしたので、ローワンは胸を撫でおろしながら詫びた。
「いや、荒い声を出して申し訳ない。 ぼんやりしていたところで、ちょっと驚いたんだ」
「そうかい。 君が到着したと聞いて、ジョージ殿下が話したいとおっしゃってる。 行くかい?」
「ああ、もちろん」
 マッコールについて部屋を出ようとして、ローワンの体ががくんとのめった。 マッコールは異様な気配を感じて振り向いた。
「どうした」
「……あれ」
 返ってきた声は、低くかすれていた。 ローワンはぎこちなく立ち止まったまま、マッコールの背後を指差した。
「あれが見えるか?」
 肩越しに後ろを眺めたマッコールは、誰もいない広い廊下を目にしただけだった。
「あれって?」
「いや……」
 目をこすると、ローワンは無理に元気を装った。
「気のせいかな。 ぼんやりと女の影が動いていたようだったが」
「飲みすぎだろう」
 マッコールは横柄に笑い、再び先に立って歩き出した。


 隣りの部屋に潜んでいたラルフが、ランタンをマントの下から取り出して、横のハーミアに囁いた。
「あなたの影を見て、ぞっとしたらしい。 あんな人間でも少しは良心が残っているんだな」
「これからどうします?」
 ハーミアが熱心に尋ねた。 ラルフは真剣な表情になり、ハーミアのひたむきな視線を受け止めた。
「次はいよいよ本番だ。 それだけ危険だということになるんですが」
「行きます! あなたならきっとうまくやってくださる。 信じています」
 いきいきしたラルフの瞳が、吸い寄せられるようにハーミアの可憐な顔をたどった。
 つと彼の手が伸び、ハーミアの手を取ってほんの一瞬、唇に押し当てた。 そして、彼女がはっとする前に素早く握り直し、本物の幽霊のように足音を忍ばせて、部屋を抜け出た。


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