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36

 キースは素早くハーミアを引き寄せると、しっかりした調子で従僕に命じた。
「辻馬車を呼んできてくれ。 これはここに置いておいて、明日修理の者をよこそう」
 あわてて馬車から飛び降りて車軸を調べていた御者が叫んだ。
「これは、自然に傷ついたものじゃないです。 畜生! 一体誰がこんな真似を!」
「シッ、静かに」
 馬車の後ろから声がした。 聞き覚えのある声。 ハーミアが胸の奥で、何よりも待ち望んでいた声だった。
 すぐに人影が姿を現した。 上から下まで黒で包んでいるので、闇に半分融けて見える。 その黒い影が手招きすると、ためらいなくキースがついていった。 離れたくないユーナとハーミアも後を追い、チルフォード一家は柱の陰に身を隠した状態になった。
 黒服の男は、口早に囁いた。
「細工しているのを見届けました。 だから馬車の背後に張り付いて、門を出たらすぐ止めさせようとしていたのです」
「バートンさん!」
 ユーナがあえいだ。 キースは驚かず、腕に抱きこんだハーミアの頭を撫でた。
「ぬかりはないよ、ハーミア。 ずっとラルフ君とは連絡を取り合っていたんだ」
 深く被った帽子を少し持ち上げて、ラルフはハーミアに笑顔を送った。 すぐにまた鍔を下げてしまったが、一瞬の微笑みはハーミアの心に焼きついた。
「敵は思った以上に早く行動に出ました。 もうハーミアさんを生かしておけないと思った理由があったんでしょう」
「見抜かれてしまったんだわ」
 ハーミアが呻いた。
「傍を通っていったとき、思わず顔をそむけたから。 私が馬鹿でした。 自分を抑えて、知らんふりしていればよかった」
 愕然として、ユーナは娘のうつむいた顔を覗きこんだ。
「ハーミア! あなた、敵の正体を知っているの?」
「さっきわかったの。 笑い声を聞いて」
 ハーミアは力なく答えた。
 ラルフが低い声で提案した。
「この馬車にひとまず乗って外に出てください。 表で辻馬車を拾って乗り換えることにして。 敵が窓から様子を見ているかもしれませんから」


 ユーナはハーミアを真っ先に乗せようとしたが、ラルフの腕が遮った。
「こうなったら先手を打ちましょう」
「え? なに?」
 うろたえるユーナを尻目に、ラルフはハーミアをそっと壁の角にかくまうように連れこみ、いつもの気軽な口調で話しかけた。
「復讐の女神になるっていうのはどう?」
「え?」
 ラルフはにやっとした。
「あいつに引導を渡してやるのさ。 とうとう尻尾を出したんだから、ここで一気に追いつめよう」


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