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 城の大広間は巨大なシャンデリアと壁にちりばめられた燭台の列とで、昼間より明るいぐらいに照り輝いていた。 髪を結い上げ、流行の薄いストールをなびかせて立ち話している婦人たちの間を縫って、皇太子のジョージ・オーガスタスが棒につけた眼鏡を片手に悠々と歩き回り、楽しげに挨拶を交わしていた。
 やがて皇太子の視線は、窓に近いところにひっそりと佇んでいる家族を捕らえた。 そのうち、父親の顔はよく見知っていた。
「あれはチルフォードだ。 とすると、あの窓の外ばかり見ている娘が、人気の高いハーミア・チルフォードなんだな」
 さっそくジョージ・オーガスタスは人ごみを横切り、窓に近づいた。 キースは一瞬迷惑そうな表情をしたが、すぐ表向きの顔を装って、皇太子に会釈した。
「殿下のお手馬、バウンディーフープがマイルレースで優勝したとか。 おめでとうございます」
 皇太子は上機嫌でうなずいてみせた。
「あれは素晴らしい馬だ。 アラブの血を引いて夜のように漆黒でつやつやしている。 そこのお嬢さんに、一度見せてあげたいものだ」
 扇の陰から顔をあげたハーミアは、臆することなく皇太子と目を合わせた。 オーシャンブルーの瞳は清らかで、女好きのジョージ・オーガスタスでさえ気軽に冗談を言えないほど澄み切っていた。
 やや照れたように、ジョージ・オーガスタスはコホンと咳払いし、穏やかに話しかけた。
「それではあなたが巷に美しさをうたわれているハーミア嬢なのだね。 ギルバート・ステュワートにでも肖像画を描いてもらったら、どんなに素晴らしいものが出来上がるだろう。 どうかね? いい絵描きを紹介するから、一枚描いてもらったら」
「ありがとうございます」
 ユーナが素早く代わりに答えた。
「娘の許婚者も非常に喜びますでしょう」
「ほう、もう婚約を?」
「はい」
 当てがないのに、ユーナはすまして答えた。 そうでも言っておかないと、女好きで有名な皇太子の何十番目かの愛人にされたら大変だったからだ。
 酒の飲みすぎで赤くなった鼻を軽くかんで、皇太子は少し残念そうに呟いた。
「その幸運な男性に祝福を。 それでは、楽しんでいってくれたまえ」
 一家はほっとして、揃って頭を下げた。

 一通りの客回りをすませると、皇太子は取り巻きを連れて別室へ入っていった。 そこでは夜を徹して高額な賭け事が行なわれるのだ。 皇太子のギャンブル好きは度を越していて、賭け金の踏み倒しで裁判所に呼び出されたことまであった。
 残された客たちは、いっそうリラックスした雰囲気になり、踊ったり、世間話に興じたり、中には目配せして手を取り合って、そっと密会に出て行く男女も現れた。
 壁際の大きな飾り時計を眺めて、キースが妻に耳打ちした。
「もう義務は果たしたから、そろそろ帰ろうか」
「ええ」
 ほっとしてユーナもうなずき、従僕に合図してコートを取って来させた。 その間、ハーミアはいつも通り周囲からそそがれる視線を逃れるように父の横に立っていたが、ちょうど真正面に見える大扉がゆっくりと開いたので、何気なく顔を向けた。

 だいぶ酒が入ってがやがやと賑やかになった広間に、新しく三人の男性が入ってくるところだった。 どれもハーミアには見覚えのない顔で、二人は背が高く、一人は小柄だった。 立派なチュニックや半ジャケットを身につけているところから見て、なかなか身分の高い連中らしい。 ハーミアが父に素性を尋ねようとしたとき、腹の突き出た小柄な男が、横にいる眼光鋭い大男に何事か話しかけて、陽気な笑い声を上げた。
 ベストのポケットに指をかけ、鷲のような目で周囲の品定めをしていた大男も笑った。 ほっそりした顔から想像するより野太い声だった。
 その笑い声が耳に届いた瞬間、ハーミアの顔から表情が消えた。 そしてみるみる血の気を失い、蝋のように青ざめた。


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