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29

 黙っていなくなったと思ったら、昼少し前にあわただしく帰ってきて、それからずっと自室に閉じこもったままのハーミアを、ユーナはどう考えたらいいかわからなかった。
 二度二階に上がってドアを叩いたが、その度に戻って来る答えは一つ。
「なんでもないわ、お母様。 一時になったら下りていきます。 それまでそっとしておいて」
 それでやむなく、ユーナは胸を痛めながらまた階下に下りて、アシュダウンに愚痴をこぼすのだった。
「あんなに素直な子だったのに、最近妙に気まぐれになってしまって」
「年ごろですよ」
 三人の娘と二人の息子を持つアシュダウンは、先輩顔でなぐさめた。
「十五から十八ぐらいは、急にむっつりしたり口をきかなくなったり。 女の子は不意に泣き出したりします。 若いってことは、それだけ傷つきやすいんですよ」
「ええ、私にも覚えがありますけれども」
 それにしてもハーミアの変わりようは極端だ、とユーナは不安だった。 実子ではないが、むしろそれ以上にかわいがって育てた娘だ。 だからこそ、突然の異変に何かを感じた。
「もしかして」
「はい?」
「あの子、恋をしてるんじゃ」

 アシュダウンは白目になって天井を見上げ、ちょっと考えた。
「相手は、もしやバートン氏だと?」
「わかりません」
 ユーナは手を握り合わせた。
「二人で踊っているところを見ても、そんな雰囲気じゃありませんでした。 そうですよね?」
「ええ、わたしもそう感じました。 言うなら、兄と妹のようとしか」
「そうなんです」
 更に言葉を継ごうとして、ユーナの眼が大きく広がった。
「まあ……!」
 玄関が開き、男の体を肩に背負った噂の主が現れた。 ラルフは、ぐったりした男を床に下ろすと、ユーナとアシュダウンを交互に見ながら早口で言った。
「すぐ荷造りをお願いします。 一刻も早くここを出ないと、危険が迫っているんです!」

 二人がまだ驚きから褪めないうちに、階段を軽い足音が駆け下りてきた。 すでにボンネットを被り、コートを身につけたハーミアだった。
 ラルフの喉がごくりと鳴った。 だが、ハーミアは彼をちらっと見ただけで、急ぎ足で母の傍に寄り、手を握った。
「もう荷物は詰めたわ。 小間使いのコニーは信用できないから自分で。 お母様の分はデビーにやってもらったの」
「どういうことなの、ハーミア!」
「説明は馬車の中で。 アシュダウンさん、ごめんなさい。 従者の方にさっき頼んで、こっそり荷造りしてもらいました」
「はあ?」
 食べたばかりの昼食が胃から上がってくるような慌しさに、アシュダウンは目を白黒させた。
 ハーミアは更に早口になった。
「コニーをわざとジェレマイア先生の家に行かせているんです。 お母様の薬を取ってきてくれって。 あの子が戻ってくる前に、急いでここを出ましょう」
「なんでコニーを置き去りに?」
 小声で叫んだ母に、ハーミアはきっぱりと言った。
「あの子はスパイなの。 きっと何年も私を見張っていたんだわ」


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