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20

 笑い飛ばそうとして、ラルフは考え直した。 ハーミアの眼は真剣そのものだ。 気持ちをそらすのは、容易なことではなかった。
 それで別の手を使うことにした。 いかにも困った風に眉を寄せて、ひそひそ声を一段と低くした。
「噂だけは聞きかじってますよ。 フーシェ〔=フランスの密偵組織の長〕が軍資金稼ぎをしているとか、裏切り者を処分するために暗殺者を差し向けたとか」
 それを聞いて、ハーミアはじれったそうに頭を振った。
「フランス人じゃありません! 私が嵐の中で聞いたのは……」
 とたんにぐっと抱き寄せられて、息が詰まった。 ラルフは怖いほどの顔になっていた。
「忘れると言ったでしょう! そんな話は二度と口に出さないこと!」

 そこで、疲れた楽団が喉をうるおす時間を要求し、ダンスは中断した。 ラルフはハーミアの背中を抱えてユーナの横へやさしく押しやり、アシュダウンからキルシュのコップを受け取ると、ぐっと一気に飲み干した。
 視線が上がったその先に、見慣れない召使風の男が見えた。 落ち着かない様子で広間に入ってきたその男は、ウォーレンに近寄ってひとしきり耳打ちした。
 笑み崩れていたウォーレンの顔が引きしまり、一瞬げっそりした表情を浮かべた。 そして、気乗りのしない様子で立ち上がると、
「皆さん、心行くまで楽しんでください」
と挨拶して、そそくさと廊下のほうへ出ていった。

 ラルフはコップを手に持ったまま、ぶらぶらと表の戸口に近づき、用を足しに行くふりをしてそっとすべり出た。 それから猫のように足音を忍ばせて、裏へ回った。
 勘は正しかった。 ウォーレンは廊下を抜けて裏口から現れ、帽子を目深に被った誰かと小声で話を交わしていた。
 気付かれないぎりぎりの距離まで忍び寄ったラルフは、壁に背中を押しつけて、耳を澄ませた。
「じゃ、いつも通りの手筈で」
 訪ねてきた男の声は凄みがあり、明らかなフランス訛りが聞き取れた。
 ウォーレンは気難しい表情をして、一段と強く吹き荒れている風を目で追った。
「もう潮時じゃないか? どんなことも引き際が肝心だ」
「銃の密売は金になるんです。 しかも表に出せない金だ。 闇商人の二人や三人この世から消えたって、誰も気にしませんぜ」
「しかし……」
 男は右肩をそびやかし、威嚇する姿勢を取った。
「忘れたんじゃないでしょうね。 命令は絶対なんですよ。 背けばどうなるか……」
「わかってる、わかってるよ」
 慌てて遮り、ウォーレンは弱々しく首を動かした。
「三人だな?」
「ええ、三人です」
「すぐに行かせる」
「じゃ、よろしく」
 男は軽く頭を下げ、はためくコートの襟を立てて、暗闇に吸い込まれていった。

 楽団がじゃがいものチーズ挟みを盛んに頬ばっている横で、カークはじりじりとハーミアに近づき、口説きにかかっていた。
「どうか、そんなに冷たい顔をしないでください。 初対面じゃありませんよ。
 僕を覚えてくれなかったんですか? ほら、駅舎の食堂で自己紹介したでしょう?」
「ええ」
 ハーミアはごく冷静に応じた。
「確か、レイモンドさんでしたね」
「そうです!」
 それだけで、カークはぱっと顔を輝かせた。
 


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