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17

 その頃、『潮風邸』ではユーナが大急ぎで荷物を開けさせていた。
「ドレス、ドレスと……どの鞄にしまったかしら。 ああ、いやになっちゃう。 こんなに早く招待が来るとわかってたら」
「確か黒い革の鞄よ。 あれじゃないかしら」
 ハーミアが小間使いのコニーと力を合わせて開くと、押えつけられていたレースやフリルが滝のようにあふれ出てきた。
「それそれ! よかったわ。 一晩広げて皺を取っておかないとね」
 そう言いながら、ユーナはワインカラーのイヴニングを肩に当て、鏡で色合いを確かめてみた。
「ハーミア、あなたがあのクリーム色のドレスと緑のビロードのガウンコートを着て行くのなら、私はこれとベージュのマントでいいわね」
「ええ」
 てきぱきと手袋やショールをそろえながら、ハーミアの心は他所をさまよっていた。 明日の夕方から始まるパーティーには、どんな顔ぶれが集まるのだろう。 近所の有力者だけでなく、駐在の軍人や行政官も来るのだろうか。 それならできるだけ沢山の人と踊って、全身を耳にして話を聞こう。 さりげないやりとりから重大なヒントを得られるかもしれない。
「楽しみだわ」
 思わずもらした独り言に、ユーナは目を見張った。
「こんな田舎のパーティーが? ロンドンではあんなに退屈そうだったのに。 面白い子ね」


 翌朝も太陽は出ていたが、たまに帽子が吹き飛ぶほどの風が吹いた。 迎えに来たマティと連れ立って浜に行ったハーミアは、漁に出るイーサンたちの船を見送った。
「すごい風ね。 甲板から落とされないようにね!」
 口に手を当てて大声で呼びかけるハーミアに、イーサンは大きく手を振り返した。
「ハーミアさんこそ吹き倒されないように! 今は晴れてるが、今夜は荒れますよ。 地主さんのパーティーに行くなら、早めに切り上げるこったね」
 ハーミアの頬が一瞬引きつったのを、横にいたマティは見逃さなかった。
「イーサンったら無神経なんだから。 すみません、嵐の話なんかしちゃって」
「いいのよ」
 どこか押えた静けさで、ハーミアは答えた。
「事故のことはよく覚えてないの。 だから平気」
「それじゃ、ジャーディンさんのところへ行って、ご自慢のチーズを分けてもらいましょう。 本当にほっぺたが落ちるぐらいおいしいんだから」
「ありがとう。 紹介してくれて」
 ハーミアが微笑むと、マティはぽっとなって頬を押さえた。
「いやあ、その青い眼で見られると女でも顔が火照りますね。 きれいだわ」
「そう? でもほら、あそこの漁師の男の子、凄い目つきで私をじっと睨んでるわ。 きっとあなたが好きなのよ。 だから私が邪魔なんだわ」
 ハーミアは頭をそらして明るく笑った。
「おあいにくさま。 この午前中、あなたの時間は私のものよ。 さあ、手をつないで。 一緒に楽しく行きましょう」
 キャッと嬉しそうに声を上げて、マティはハーミアのなめらかな手をそっと握り、いそいそと歩き出した。 浜に仁王立ちしているイノックが自分に気があることは知っている。 だが、マティはイーサン一筋だった。

 昼食が済んで一休みした後、『潮風邸』の泊り客たちはそろそろ出かける支度に入った。
 アシュダウンは自室にラルフを呼び、しきりにファッションの相談を持ちかけた。
「このコートは丈が長すぎるかね。 白いボウ〔=胸飾り〕はもう時代遅れだろうか」
「いや、そんなことは」
 そつなく応じながら、ラルフはちゃっかりアシュダウンのシルクハットを借用して頭に載せてみた。
「お、ぴったりだ。 予備をお持ちなら貸してもらえませんか? 急いで出てきたので忘れてしまって」
「いいですよ、喜んで」
 アシュダウンは鷹揚〔おうよう〕に答えた。


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