表紙
―氷の城―26

 やがて、あたふたとアルマンゾが近づいてきた。
「あの、婚約とおっしゃいました? この不肖の妹と?」
 バートラムは、焦り気味の若者を余裕ある態度で眺めた。
「覚えているかな。 あなた方が冬の最中にここを訪ねてきたとき、セント・アンドリュー修道院に立ち寄ったのを」
「え……ええ、それが何か?」
「そのとき、一夜の宿を共にした男がいただろう? 十字軍の服を奉納していたはずだ」
 最初ぼんやりしていたアルマンゾの表情が、すぐに思い当たってきゅっと引き締まった。
「それでは、あのときの!」
「そうだ」
 そしてバートラムは、前に少し身を屈めて小声になった。
「父はこの人に関心を示さなかった。 イングランドの大鷹にはわたしの母しか見えていなかったのだ。
 この人を愛したのは、わたし。 求めたのもこのわたしだ。 あなたの思惑とは違ったかもしれないが、結果としては満足だろう?」
 アルマンゾは唇をなめた。 どう考えたらいいか、まだ戸惑っている様子だった。
「それは、当然のことながら妹には身に余る光栄で」
「では承知してくださるな?」
「もちろんです!」
 やっと実感が湧いてきたらしい。 声が不意に上ずった。 今後アルマンゾは、城主夫人の兄となるのだ。 これがどれほど有利なことか、彼はだんだんわかりかけてきていた。


 式は風薫る初夏に決まった。 これまで秘密の宝として塔に封じ込めていたのを償うべく、バートラムはアストリッドを毎日のように連れ歩き、どんな情報でも教え、相談相手にした。
 これが派手で贅沢好きな婚約者だったら、家臣の反感を買ったことだろう。 しかし、アストリッドは物静かで配慮があったので、じきに部下たちは安心して彼女を慕うようになった。
「先代の奥方さまの生まれ変わりだ」
と、領民たちは噂した。
「気取ってなくて愛らしい。 若殿様はいいレディを見つけなさった」

 慎ましやかに振る舞いながらも、アストリッドは城の奥では思う存分バートラムに甘えた。 不意に姿を消して慌てさせたり、城壁の上にリュート弾きを呼んで目が回るほど踊ったりした。 そんな彼女に感化されて、どこか陰気だったバートラムも次第に明るさを増していった。

 周到に準備された婚礼の前夜、木立からナイチンゲールの鳴き声がかすかに響いてくる窓辺で、アストリッドはバートラムにもたれて、これから続く未来に思いを馳せていた。
「国王がまた戦を始めなければいいのだけれど」
「領土争いは騎士の宿命だからな」
「幸せがいつまでも続きますようにと、毎晩神に祈っているの」
「続くさ」
 恋人を膝に抱きあげて、バートラムは激しく頬擦りした。
「たとえ戦が始まっても、わたしは君を離さない。 父と同様に、どこまでも連れて行く」
「ええ、行くわ。 どこまでも!」
 明日は疲れる挙式の日だというのに、二人の囁きはいつまでも続いた。 ナイチンゲールが飛び去り、陽気なヒバリの声が空気を震わせる明け方になっても。
 抱き合ったまま、二人は次第に庭をばら色の光が染めていくのを見守った。 昨日とは違う新しい日々の始まりを告げる、鮮やかな色彩だった。

【完】






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