表紙
―氷の城―1

 その年の冬は、特に寒かった。
 見渡す限りの大地は凍りつき、葉を落とした枝先に、糸杉の葉に、うなだれた下草の縁に、霜がレースとなってまといついていた。
 馬たちは湯沸しのように白い息を吐きながら進んだ。 ちりちりとした風が襟元から忍び込んでくるので、アストリッドは首を縮め、毛皮の中に顎を深く埋めた。
 来たい旅ではなかった。 兄のアルマンゾもおそらくそうだろう。 だがロングヴィル一族との土地争いがここまで昂じると、後は城主の裁定だけが頼りだ。 たとえ極寒のさなかでも、嘆願に出向かないわけにはいかなかったのだ。

 低い丘をゆっくりと登っていくと、ちらついてきた小雪の中に、這いつくばったような灰色の建物が姿を見せた。 今夜の宿を頼もうというセント・アンドリュー修道院の厳めしい外郭だ。 さすがにほっと人心地がついて、アルマンゾは少し馬を急がせ、一足先に丸太で出来た大門に到着した。
 薄暗いとはいえ、まだ昼間なので、門は開いていた。 アルマンゾ、アストリッド、それに二人の従者が庭に馬を乗り入れると、建物正面の扉が開き、中から暗褐色の僧衣をまとった大男が出てきた。
「どなたかな?」
 かじかんだ足を鐙〔あぶみ〕から外して、アルマンゾは注意深く下馬した。 残りの三人もそれにならった。
「不意に押しかけて申し訳ない。 ヘレフォード郊外の在のアルマンゾ・デラメアと申す者です。 こちらは妹のアストリッド」
「女連れなのか」
 僧侶は困ったように眉をしかめた。
「知っての通り、ここは男子修道院で……」
「避難部屋があるはず。 僧院には行き倒れを匿う場所が必ずありますね。 そこで結構。 妹は丈夫な性質だし」
 妹という娘に視線を移し、大きな頭巾の下から覗く緑柱石のような瞳に見すえられて、僧は低く咳払いした。
「しかし、あまりにも目立つ美しい女性は……」
「できるだけ顔を隠します。 若い僧侶や見習い僧の心を無駄にかき乱さぬよう」
「頼みますぞ」
 やっと僧侶は扉を大きく開いてくれ、一行は中に入ることが出来た。


 セント・アンドリューは、中部イングランドでは一、二を争うほど規律の厳しい修道院で、内部では『沈黙の誓い』が固く守られていた。 つまり、役に就く者でも小声で必要最小限のことしか話さず、雑談は(表の場では)一切禁止。 まして修行中や願をかけた身だと、完黙が条件となっていて、意志を伝えるのは身振り手振りだけという徹底ぶりだった。
 異様な静けさの中を、旅の一行は案内されていった。 広間も廊下も、人がいないのかと思うほど音が消えている。 ただ一行の足音だけが重く沈黙を切り裂いて進んだ。
 建物の左奥に、旅人が足を休める部屋があった。 灰色の柱と石の床に取り囲まれた殺風景な広い部屋で、いかにも僧院の空き室という雰囲気だ。 それでも暖炉があかあかと燃えているので、アストリッドはほっとして、つい早足になった。
 途中で、足が何かに引っかかってよじれた。 同時に床から大きな影が、狼のように勢いよく起き上がった。




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