表紙
―氷の城―21

「一つ教えてください。 ユージン様だったら、うちの一族に便宜をはかってくださったでしょうか?」
 バートラムの眼が細く開いた。
「わからない。 母の遠縁だから、よその荒れた土地を渡したかもしれないが、おそらくワイルストンはそのままハッチに譲っただろう」
 アストリッドもそんな気がした。 一度言い渡した論功行賞を変更するのは、領主の信用にかかわるのだ。 息子のバートラムだからこそできた決断だと、今のアストリッドには理解できた。
 相手がたとえ誰であろうと、私が来たのは成功だった、と、アストリッドは自分に言い聞かせた。 そして、苦しい気持ちを押し隠して手を差し伸べ、膝にくいこむほど強く押し付けているバートラムの右手にそっと載せた。
 少しの間、バートラムは身動きせずにその手を見つめていた。 それから激しく持ち上げると、唇を押し当て、ついで顔を埋めた。
 マントの下から聞こえたのと同じ、くぐもった声が囁いた。
「やはり許してほしい。 身も心もわたしのものになってほしい。 僧院から去っていく君を、なんとかして引き止めたかった。 誓いなど破って声を出して」
「バートラム様……」
「君はわたしを知らなかったのだな。 修道院と裏庭で見かけた男と、ただそれだけしか」
「ええ」
「それならあのとき通った気持ちを思い出してくれ。 無邪気に微笑み合った短いひとときを。 曇りのない目で見た、普通の若者を」
 確かに淡く心惹かれていた。 鳩の暗号を渡して手柄を立てさせようと思ったりした。 あの午後の純な気持ちを思い起こすと、アストリッドは涙がにじみそうになった。
「私はそれほど強くないし、野心もありません。 この城に、私を邪魔に思っている人たちがいるのはよくわかりました。 間もなく兄が迎えに来ると思いますから、命があるうちに帰ります。 ワイルストンの森の我が家へ」
「だめだ!」
 裂くような叫びと共に、アストリッドは抱き寄せられた。 バートラムの体は高熱を帯びて細かく震えていた。
「殺させはしない。 わたしが守る! だからどこにも……どこにも行くな!」

 激しい感情に衝き動かされたとき、バートラムは熱を発するのだと、アストリッドは悟った。 彼は子羊を腕に抱いた羊飼いのように、やさしく、しかしがっちりと彼女を抱きとめて離さなかった。




表紙 目次前頁次頁
背景:b-cures
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送