表紙
―氷の城―9

 下男のジョックを護衛に残し、アルマンゾはそそくさと家路についた。 結局ハッチ・ロングヴィルは後を追ってはこなかったが、そうなると逆に故郷で土地を奪いにかかっているのではないかと心配になる。 一刻も早く戻って、領地の譲り渡しは一年先延ばしになったと証文をつきつけてやらなければならなかった。

 兄を見送ってから、アストリッドは迎えに来た小姓に案内されて石の階段を上った。 段は巻貝のようにゆるやかに回り、南の塔につながっていた。 十段ほど登るごとに小さな窓があいていて、小雪混じりの風が吹きこんでくる。 アストリッドは肩をすくめ、両手を懐にいれてかじかむのを防いだ。
 階段を上り切ると、そこには短い廊下があって、くすんだ茶色の扉が二つ見えた。 かすかなきしみ音を立てて、小姓が左側の扉を開き、室内へといざなった。
 中にはもう火が焚かれ、地味な被り物をつけた侍女が立っていて、アストリッドを見ると慎ましく頭を下げた。
「ケイティと申します」
「私はアストリッド・デラメア。 よろしく」
 まだ笑顔を向ける余裕があった。


 ワインと肉、それにパンという夕食は、部屋に運ばれてきた。 アストリッドが食べ終わると、食器はすべて持ち去られ、侍女は控えの間に下がっていったが、その際に、すべての灯りを注意深く消していった。
 残るは大分勢いを弱めた暖炉の火だけだった。 ベッドに入って首まで寝具を持ち上げ、熱心に戸口を見守っていたアストリッドは、不意に右手の壁が動いたので、あやうく叫び声をあげるところだった。
 そこは隠し扉になっていた。 一本の軸を中心にぐるりと回り、洞穴のような暗がりから大きな影が姿を現した。
 それは本当に影といってよかった。 くるぶしまであるガウンは黒っぽく、首から上はすっぽりと覆面で覆われていた。 下にある焼け爛れた顔を想像して、アストリッドは激しい緊張に教われ、上掛けを握りしめた手のひらが汗ばむのを感じた。
 影はすべるようにベッドへ近づいてきた。 そして、がっしりした長い腕を伸ばして、アストリッドの顎を持ち上げ、炎の照り返しが淡く揺れる表情を見極めようとした。
 声が低く囁いた。
「後悔はしないか?」
 顎の下に融けるような熱を感じながら、アストリッドはゆっくりと横に頭を動かした。
「決して」
 それは心からの言葉だった。 真面目さは城主にも伝わったのだろう。 熱い指は顎から首筋の後ろへ移り、静かに抱き寄せて胸に包んだ。
 アストリッドは眼を閉じた。 大きな手が寝巻きを取り払い、生まれたままの姿にしたときも、開かなかった。 




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