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心の刻印 14


 

 日付が変わる頃、アランは世を去った。 自室の窓際でひざまずき、祈りつづけていたトリシーは、廊下を小走りで動き回る足音と、あわただしいささやき声で、不幸を悟った。

  部屋から出ると、泣き腫らした眼のジャニスが近づいてきた。 そして、無理に出したため固く聞こえる声で言った。
「いい人だったわ。 わがままなんか一度も言わないで」
  そしてトリシーを引き寄せ、やさしく抱きしめた。
  2人はしばらく涙に暮れていた。 やがて横を、ロジャーに連れられた牧師が通った。 いつもは力がみなぎっているロジャーの背中が、十は年取ったようにすぼんで見えた。

  夜が明けて、午後に葬儀が執り行われた。 結核は伝染病なので、できるだけ早く埋葬することになっている。 トリシーはマッカラム夫人のキャシーに喪服を借りて、村の墓地に行った。
  結局、遺体を見ることは許されなかった。 おそらくアランの遺言だったのだろう。 牧師の長い弔辞が終わると、手を尽くして集めた菊がひっそりと、チーク材の棺に置かれた。 人々の、特にロジャーの目を盗んで、トリシーは白い菊の下に、すばやくメグとトミーの写真を差しこんだ。
  重々しい木の棺は、ゆっくりと人夫の手で深い穴に吊り下ろされていった。

  アランの病室は、医者の手で消毒がほどこされた。 静まり返ったその部屋を、トリシーは日暮れ前にそっと見に行った。 布団を外され、骨組みだけ残ったベッドには、もうアランを思い出させるものは何も残っていなかった。
  だが、窓辺の水差しの横に、白いハンカチが忘れられたように置いてあった。 初めて見た娘に、アランが振ったハンカチ…… トレシーは素早くそれを懐に隠した。 このままだとこれも焼き捨てられてしまう。 洗って日に干せば問題ないはずだ。 トミーへの、大切な父の形見になるはずのハンカチだった。
 
  もう外は暗かった。 燭台に火を灯して手に持つと、トリシーはゆっくり廊下を進んだ。 今こそロジャーに話さなければならない。 アランにかわいい娘がいること、そして自分はメグ・ニュージェントではないことを。
  ドアをノックしたが、返事はなかった。 もう一度、少し力を込めて叩くと、かすかにきしりながらドアが開いた。 鍵をかけず、きちんと閉めてもいなかったらしい。
  部屋の中は真っ暗だった。 だが机の横の椅子に、ロジャーは確かに座っていた。 トリシーのかかげる明かりにぼんやり照らし出されたその姿は、普段より一回り小さく見えた。
  遠慮しいしい、トリシーはそっと声をかけた。
「コートニーさん?」
  ロジャーはわずかに身動きした。 すると強い酒の臭いがトリシーの鼻に届いた。
「なんだ」
「あの、話があるんです」
「入れよ」
  珍しく、ロジャーはトリシーを拒否しなかった。 不安を一杯に抱えながら、トリシーは椅子にもたれているロジャーに近づき、そばに立った。
「アランが書いた遺言のことですが」
  私にはもらう権利はないのだと明かすつもりだった。 しかし、ロジャーは最後まで言わせなかった。
「金はやるよ。 あいつの遺志だ。 どんなに気に食わなくても、アランを悲しませるような真似はしない」
  トリシーは再びかっとなった。
「そういうことじゃなくて! 私の言いたいのは……」
「金の話じゃないなら、こんなときに遺言のことなんか持ち出すな!」
  叩きつけるように言うと、ロジャーは椅子の肘かけに手を置いて、立ち上がった。
「あいつはわたしに感謝していた。 最後に君に会わせてくれて、うれしかったと書いていたんだ」
  一瞬、厳しいほど整った顔がくしゃくしゃに変化した。
「このわたしにだぞ。 君を引き離した張本人にだ」
「他には?」
  反射的に、トリシーは尋ねた。
「あなたと私についてだけ? 他の人の名前はなかった?」
  ゆっくりと向きを変えて、ロジャーはまともにトリシーの眼を見つめた。
「何のことだ」
「いいえ……」
  なぜアランはトミーのことを書かなかったのだろう。 ロジャーが認めるはずがないからだろうか。 確かにこれまでは、誰の子かわかりはしないとロジャーに侮辱されるのが怖くて、トミーを堂々と連れてくることができなかった。 でもアランは、僕そっくりだと言ってくれたし……
  トリシーはロジャーから視線を逸らし、唇を固く結んで考え事を始めた。
  深く思いに没頭していたから、手後れになるまで気付かなかった。 肩をがっしり掴まれて、驚いて眼を上げたとき、ロジャーの顔が、焦点を合わせられないほど近くにあった。


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