フィリスには家に入るように命じて、ロジャーはトリシーに向き直った。
「自分が何をしたかわかっているのか。 恋人がベッドで苦しんでいるときに、大声張り上げて遊んでいたんだぞ!」
「アランは苦しんでないわ」
きっぱりと、トリシーは断言した。
「今日は気分がいいんですって。 さっき部屋を覗いたとき、何か一生懸命に書いてたわ」
「書き物をしていたって?」
ロジャーは眉を寄せて考えていたが、やがてトリシーのことなど忘れたように大股で歩き出して、裏口から屋敷に入っていった。
5時少し過ぎ、夕食の前に、ジャニスがフィリスの部屋にいるトリシーを呼びに来た。
廊下に出ると、ジャニスはいったん立ち止まり、気がかりな様子でトリシーの表情を探った。
「アラン様が、急変したの」
不意に喉がざらついて、トリシーはまともな声が出せなくなった。
「それで…?」
ジャニスは声を一段と低めた。
「あなたに会いたいって。 あなた一人だけに」
トリシーは震える息を吸い込んだ。 とうとうその日が来たのだ。 思ったよりも、ずっと早く……
ドアを開く前に、長い廊下を端まで見渡した. 人影はなかった。 トリシーはできるだけ静かに扉を開き、体を斜めにしてすべりこんだ。
アランの頬は朝見たときの暖かい血の色を失い、落ちくぼんで見えた。 しかし苦痛はないようで、トリシーが上にかぶさるようにかがみこむと、うっすらと目を開けて微笑んだ。
「いよいよだよ」
何も言葉が出せなかった。 そんなことないわ、とも、がんばって、とも言えない。 自分の運命を悟りきった青年に、下手な励ましは役に立たなかった。
「朝のうちにやっておいたことがある。 祖母から受け継いだ僕の財産を、すべて君に贈った」
「アラン!」
トミーにあげて! と言おうとしたトリシーを、アランはわずかに上げた右手で制した。
「もう決めたんだ。 君は誰よりも僕を幸せにしてくれた。 だから僕も君を幸せにしたい」
声は次第に弱り、短い息になっていった。
「大好きだよ、メグ」
トリシーの顔が激しく歪んだ。 ベッドの脇に膝をつくと、トリシーは妹が乗り移ったようにアランの手を取り、涙に濡れた頬に押し当てた。
「愛してるわ、アラン。 付き合った人は何人もいた。 でも、愛したのはあなただけ。 この世でたったひとり、あなただけだった……」
それは紛れもない真実だった。 だから、真実だけの持つ悲壮な力でアランの胸に食いいった。
最後の生命の火が、ぽっとアランの顔を照らした。 だがそれも一瞬だけで、すぐにあえぎが彼を襲った。
詰まりかけた息の下で、アランは必死にトリシーを押し離そうとした。
「行って」
「え?」
「行ってくれ。 お願いだから。 苦しむ顔を見せたくない。 そんな姿で君の思い出に残りたくないんだ」
「アラン!」
「行って!」
トリシーはよろめき、なんとか立ち上がって口に手を当てた。 そのとき、窓際のカーテンの裾に靴が見えた。
誰かがそこに身を隠していた。 男の靴だから、ロジャーにちがいない。 やっぱり立ち聞きしてたんだ、と思いながらも、アランが独りぼっちでないことを知ってむしろほっとして、トリシーは泳ぐようにドアに近づき、外に出ると、後ろ手に閉めて、がっくり寄りかかった。
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