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心の刻印 12


 やがて中からトリシーは慌しく引き返して、ピップにお駄賃の小銭とクッキーの包みを渡した。
「ビリーと山分けしてね」
  大半は兄に巻き上げられるとわかっていたが、トリシーは一応そう言い含めた。 ピップはさっそく汚れた手でクッキーをつかみ出しながら、こっくりうなずいた。
  3人は再び荷馬車に乗った。 外の道でビリーを拾って、まずマッカラム家に寄り、ギャング2人を家に返してから、トリシーはショーソン家に再びトミーを預けた。
 トミーは不安がぶりかえしたようで、泣いてぐすって、誓いを立てなければトリシーを離そうとしなかった。
「絶対よ。 明日は絶対帰って来てね」
「ええ、縄梯子を使ってでも抜け出すわ。 固く誓います」
  キスを残して、トリシーは身を切られる思いでガーランド屋敷に自転車を飛ばした。

  ガーランド屋敷に着いたのは、ちょうど昼食時だった。 ロジャーが留守なので、使用人たちの間にはのんびりした空気が流れていて、話しやすい雰囲気がかもし出されていた。
  これ幸いと、シチューにライ麦パン、パンプキンパイという食事が済んだ後、トリシーは娘たちに提案した。
「ねえ、ロジャーさんがいないから、少しぐらい遊んでもいいわよね。 裏庭で目隠し鬼しない? 最後まで勝ち残った人には、私のこの指輪を賞品にするわよ」
  そう言って、安物だが派手なピンクトルマリンの指輪を、トリシーは下働きの少女たちに見せびらかした。
  皆の目が輝いた。 トリシーは都会者だ。 うらやましいような、敬遠したくなるような、町の雰囲気を持っていて、ちょっとした流行の発信地だった。
  「やろう」
  真っ先にルーシー・メイが言い出して、娘たちの心は決まった。 うまくいったわね、という表情で、フィリスがトリシーに流し目を送った。

  裏庭に集まった6人の参加者は、コイントスで鬼を決め、トリシーの持ってきたスカーフで眼を覆った。 最初の鬼になったベットがやみくもに両手を伸ばすたびに、娘たちの輪が崩れて押し殺した悲鳴が上がる。 そのうちみんな大胆になって、派手にきゃあきゃあ言い始めた。
  一回戦は、小太りのベットが意外にも豹のように身軽に飛びついてフィリスを掴み、5分ほどで決着がついた。 フィリスは周囲をよく観察して狙いをつけてから目隠しをした。
  しかし、今度は逃げるほうも上手になっていて、なかなか掴まらない。 だれてはいけないと、トリシーはわざとつまずいたふりをして、フィリスの手に落ちた。
  女学校時代の楽しい思い出が、脳裏をよぎった。 膝下まである紺色のブルマーで宝捜しに出かけたっけ。 林の木を使って軍の演習さながらの陣取り合戦をしたこともある。 女子といえども体力をつけなければという質実剛健主義の学校だった。
  回りのささやき、くすくす笑い、衣擦れの音。 すべてが攻略のヒントになる。 耳をすまして当たりをつけていたトリシーは、右と左がさっとどいたのに息の音だけさせて動かない気配を見つけて、素早く飛びかかった。
「捕まえた!」
  相手が逃げなかったので勢いがつきすぎて、抱きつくような格好になってしまった。 笑いながら目隠しを取ったトリシーは、相手の顔が自分よりずっと上にあったのでびっくりして見上げ、一瞬にして石と化した。
  そこにいたのは、まったく無表情のロジャー・コートニーその人だった。

  周囲は静まりかえっていた。 後でわかったのだが、ロジャーが裏庭に姿を見せたとたん、4人の使用人たちは一斉に逃げ出して、残っていたのはトリシーとフィリスだけだったのだ。
  火がついたように、トリシーはロジャーの背中から手を抜き取った。
「あら」
「言うことはそれだけか」
「運動してたのよ」
  やむを得ず、トリシーは開き直った。
「フィリスはもっと戸外に出て新鮮な空気を吸うべきだわ」
「知ったようなことを」
  低く唸って、ロジャーはトリシーの肩越しにフィリスを睨みつけた。
「こう言っておまえをけしかけたんだな。 この女はおっちょこちょいなんだから、喜んでついていくんじゃない!」
「はい」
  フィリスはおとなしく答えた。 だが、きらきらと面白そうに光る目が、表向きの従順ぶりを裏切っていた。


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