表紙へ行く

心の刻印 11


   一番小さいミックは残念ながら留守番をしてもらうことにして、トリシーはビリーとピップをトミーの横に乗せて連れて行った。
広大なガーランド屋敷に着くとすぐ、ビリーは適当な大きさの土くれを探し、いつも持ち歩いているパチンコにつがえて、トリシーが指差して教えた窓めがけて力一杯引き放った。
土くれは大きく孤を描いて飛び、見事にアランの寝室にぶち当たった。 鈍い音が響き、パッと土が飛び散ると、2秒も経たないうちに窓が開いて、ナースのジャニスが白い帽子の頭を突き出した。
「誰? まあ、またあんたね!」
ビリーは思い切りアカンベーをしてみせて、もう一発パチンコを射る真似をした。 怒ったジャニスはいったん引っ込んで窓を閉め、それからできる限りの速さで階段を駆け下りてきた。
ぎりぎりまで引き寄せておいて、ビリーは小さな竜巻のように走り出した。 ジャニスはいつの間にか手にしていた箒を振りかざして追った。 しかしビリーは5歳にしては信じられない逃げ足で、あっという間に裏手に消えた。

2人の姿が建物の陰に隠れたのを見計らって、トリシーはそっと姿を現し、目印にした大きな楡の木の前に立って、トミーを両腕で抱えあげた。
「高い高ーい」
トミーは喜んできゃっきゃっと笑った。 このかわいい声が届いていればいいと願いながら、トリシーはトミーを今度は横抱きにして揺すった。
「かわいいトミー、すくすくと大きくなるのよ。 この木みたいに丈夫で大きな大人になってね。 それがママと、それにパパの一番の願いなんだから」
「ジャックの豆の木みたいに?」
「そう、ぐんぐんってね」
「お空まで行くの?」
「お空に届いたら、ママと…ママの大切な人と会えるわね」
腕が疲れてきたし、涙もにじんできた。 トリシーは力をふりしぼってもう一度トミーを精一杯差し上げた。
「アラン、見える? これがあなたのかわいい娘よ!」
そのとき、光る窓ガラスの向こうで、一箇所さらに白いものがちらついた。 それが細い手で振られたハンカチだと気付いて、トリシーの顔一杯に微笑が広がった。

そっとトミーを下ろすと、トリシーも大きく手を振って応えた。  その足元に、ピップが斥候のように這い寄ってきて囁いた。
「作戦成功! ビリー軍曹は逃亡。 敵はボクの張ったロープにかかってシェンメツされちゃった」
シェンメツって… ああ殲滅ね。 兵隊ごっこばかりしているマッカラム・ギャングは、使う言葉も軍隊用語だった。
かがみこむと、トリシーもしかつめらしく答えた。
「ご苦労、ピップ伍長。 任務遂行おめでとう!」
2人は敬礼を交わし、ピップは大いに満足して、トミーと遊び出した。
そこへ、服を埃だらけにし、髪を振り乱したジャニスが戻ってきた。 息を弾ませながら、ジャニスはいきなりピップを怒鳴りつけた。
「あんたのクズ兄貴はどこよ! あんなところにロープ張って、あたしを誘い込んで! 今度見つけたら死ぬほど尻を叩いてやる!」
素早くトリシーの背後に隠れて、ピップは負けずに凄いしかめっ面を返した。 ジャニスは一段と猛り立ち、矛先をトリシーに向けた。
「ちょっと! こんな地獄の申し子かばってどうするのよ!」
「汚れちゃったわね。 そうだ、私の服貸してあげる。 ロンドンで買ったギンガムのやつよ。 胸にスモック刺繍が入ってとってもかわいいの。 私にはちょっとかわいらしすぎるから、あなたが気に入ったらあげてもいいわ」
このワイロ作戦に、ジャニスの機嫌はたちどころに直ってしまった。 それでもまだ油断なくピップを睨みつけたまま、ジャニスはしぶしぶといった口調でつぶやいた。
「それなら…まあいいけど」
「色は薄緑なの。 あなたの赤味がかった栗色の髪によく映ると思うわ」
ジャニスをせきたて、ピップに目くばせしてみせて、トリシーはいったん館に入っていった。

ピップはほっとして、またトミーと遊び始めた。 幅広い草を取って口に当て、器用に音を出すピップを、トミーは尊敬の眼差しで見つめた。
「ねえ、どうやるの?」
「ここに下の唇を当てて、フッて吹くんだ」
トミーはなかなか粘り強かった。 口をつける位置をいろいろ変えて試しているうちに、か細い音が出た。
「おっ」
「わっ」
2人は同時に驚き、笑顔になった。
「できたじゃん」
「うん」
「もっといい音が出るようになったら、うちの隊の鼓笛隊長にしてやる」
コテキとは何のことかわからぬまま、トミーは喜んだ。


表紙目次前頁次頁
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送