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心の刻印 10


 計画は大成功で、翌日の午前10時、ロジャーは馬車を用意させ、2マイル離れたヨークデイルの町まで出かけていった。
  彼の乗った茶色の馬車が道を曲がって完全に姿を消すまでうずうずしながら待った後、トリシーは弓から放たれた矢のように自転車に飛び乗り、ショーソンの家へとひたすらペダルを漕いだ。
  ウィリアム・ショーソンの家は、ボグスワースの谷に沿った低地にあり、斜めに射しこむ晩秋の日光を浴びてカタツムリのようにうずくまっていた。 トリシーが自転車を柵に寄りかからせて庭に入ると、もう中から子供の高い声が響いてきた。
「ママー、ママー!」
「トミー」
  裏の戸が開き、ウールのワンピースを着た子供が転がるように走り出て、トリシーの腕に飛び込んだ。
「ママー、よそへ行っちゃ、やだ!」
「ほら、泣かないで。 ちゃんと帰ってきたんだから」
「今朝まではいい子にしてたんだがね」
  奥から顔をのぞかせて、バーサ・ショーソンが説明した。
「ちょっと前からぐずり出して。 置いてかれたと思ったらしいよ」
  しっかりしがみつかれたまま、トリシーはすまなそうにバーサに微笑みかけた。
「手間取らせちゃって。 昨夜ちゃんと来るつもりだったんだけど、コートニーさんに引き止められてね」
「ああ」
  それでわかったというように、バーサ夫人は頭をこっくりさせた。
「ロジャー・コートニーね。 あの男に掴まったら百年目だ。 それであんた、ものにされちゃったの?」
  ぎょっとして、トリシーは子供を抱えて立ち上がった。
「とんでもない! 雇われただけよ」
  それから恐る恐る尋ねた。
「ロジャーさんって、手が早いの?」
  バーサは口を大きく開けて笑った。
「どうかね。 私は一人しか知らないけど。 ヘレフォードの町からロジャーさんを追いかけてきた女でね、夢中になってかき口説いでたが、1ヶ月ぐらいで放り出されて、すごすご帰っていったよ」
  あの男のやりそうなことだ――トリシーの眼が尖った。

  小さな荷馬車を貸してもらって、トリシーはトミーと自転車を載せ、小道をマッカラム邸へと進んだ。
  やがて立派な破風と大井戸のある家が見えてきた。 トリシーはいったん馬車を降り、口に指を入れて、思いっきりピーッと鳴らした。
  とたんに庭のあちこちから、熊の子のような男の子が3人飛び出してきて、トリシーに群がった。
「トリス、何やってんだい! 『大魔王』のロジャーなんかに捕虜にされちゃって!」
「俺たち奪還作戦立ててたんだぜ!」
  4歳のピップが回らない舌で言うと、奪還がタックンに聞こえた。
「でもうまく逃げてきたんだよね?」
  一番のチビでトミーと同い年のミックがはしゃいだ。
「やっぱトリスだ。 しとじちまで取ってきた!」
  しとじち? ああ、人質か…… そこであわてて、トリシーはトミーを背中に庇った。
「人質じゃないの。 お姫様!」
  3人のチビは、うさんくさそうにトミーをじろじろ眺めた。
「これが? レースも宝石もつけてないじゃん」
「世を忍ぶ仮の姿なのよ」
と、トリシーは腕白どもに言い聞かせた。
「変装してるの。 ピカピカじゃ目立ってすぐ掴まっちゃうでしょう?」
  とっさにこの言い訳を利用することにした。 トリシーは腰を折って少年たちに顔を近づけ、声をひそめた。
「それでね、このお姫様をガーランド屋敷に連れてってね……」 
  ロジャーを天敵とみなしている男の子たちは、すぐ乗り気になって作戦に聞き入った。


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