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心の刻印 8


 アランが驚きすぎて咳の発作を起こさないように、トリシーはすぐ言葉を続けた。
「落ち着いて聞いてね。 他の誰かの子供じゃない、あなたの子よ。 見てもらえばすぐにわかるわ」
  手提げ袋から肖像写真を取り出して、トリシーはそっとアランの前に差し出した。
  そこには植え込みを背景に、金髪の小さな女の子が写っていた。 ローウェストの白っぽいワンピース姿で、丸っこい腕に大きなボールを抱え、うれしそうに笑っていた。
「トマシーナ・エリス・ニュージェント。 トミーって呼んでるの」
  トミー、と口の中で囁いて、アランは細く長い指で幼児の輪郭をなぞった。
「似てるね、僕に」
「そっくり!」
「幸せそうだ……」
  不思議でたまらないように、アランの澄んだ眼はトミーの笑顔から離れなかった。
「夢の中にいるようだ。 僕に子供がいるなんて。 それもこんなに元気なかわいらしい子が」
「会ってほしいの」
  トリシーの声は低く優しかった。
「近くの知り合いに預かってもらってるの。 すぐに連れてくるわ」
「いや」
  まだ写真を見つめたまま、アランはきっぱりと言った。
「ここに来ては駄目だ」
  驚き、がっかりして、トリシーは手を握り合わせた。
「どうして?!」
「この病気をうつしたくない」
  冷え冷えとした霧のようなものが、静かな部屋を瞬時に覆った。 アランはトリシーのはつらつとした顔を、じっと見つめた。
「君は元気だし、肺も丈夫らしい。 だがトミーは僕の血を引いている。 万一うつって、このかわいい姿が台無しになってしまったら」
「アラン……」
「君は希望をくれたんだよ、メグ」
  アランは微笑した。 風にゆらぐロウソクのような、儚い中にも明るい笑顔だった。
「このまま天に召されるのかなと、ずっと思っていたんだ。 何も残さず、墓地の片隅の冷たい石になって」
「やめて」
「でもそうじゃなかった。 僕の血は続くんだ。 生きて、人を愛した証として」
「そうよ」
  むせびそうになるのを必死でこらえて、トリシーは声を出した。
「わかってもらえれば、それでいいの。 ありがとう、アラン」
「どうして君が礼を言うの? 感謝するのは僕じゃないか。 何年も君は一人でトミーを育ててくれた。 それがどんなに大変か、世間知らずの僕にもわかるよ」
  あなたの半分でも、百分の一でもあのロジャーが優しければ…… トリシーは血がにじむほど唇を噛んだ。 そのとき、不意にある考えがひらめいた。
「この窓から庭が見えるわね」
「ああ」
「その角度から庭のどこがよく見える? あの大きな木の辺り?」
  アランは首を回して目を細めた。
「うん、あの辺ははっきり見えるよ」
「じゃ、あそこにトミーを連れてくるわ」
  アランは激しくまばたきした。


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