表紙へ行く

心の刻印 6


 だがその後、フィリスは斜めに視線を走らせて、ぎょっとなることを言った。
「味方になってくれたら、私も手を貸すわ。 あなたができるだけ儲けられるようにアランをけしかける」
「まあ、フィリス」
  思わず口に出たその言葉に非難の色を感じたのだろう。 フィリスの眼がふっと冷たくなった。
「格好つけても駄目よ。 あなたがアランを本気で愛してるとは思えない。 とても元気で生き生きしてるもの。 彼はもうじき死ぬっていうのに」
  トリシーは思わず息を詰めた。 この子は鋭い。 それだけ人間関係で苦労しているのだろう。
  ゆっくり手近な椅子に座ると、トリシーは心を込めて言った。
「たしかに恋じゃないかもしれない。 でも私はアランを心から尊敬してるし、大事に思ってるわ。 一日でも長生きしてほしい。 彼を愛する他の人たちのためにもね」
  とたんに胸が絞めつけられた。 涙をこらえようとして横を向いたトリシーを、フィリスはしばらく鋭い眼差しで見つめていたが、やがて肩の力を抜いた。
「それはほんとみたいね。 わかった。 余計なことはしないわ」

  やがて、固く糊付けしたカラーが眩しい中年のメイドが、すっとドアを開けて中に入ってきた。
「食事です。 すぐ降りてきてください」
「はい」
  フィリスがおとなしく答えると、メイドはトリシーには目もくれず、ドアを開きっぱなしにしたまま出て行ってしまった。
「あれはね、女中頭のナタリー・エヴァンス。 陰でナッティ〔=バカ〕って呼んでるの」
「ほんとにおバカさんなの?」
  フィリスは顔をしかめた。
「すごいのよ。 全然融通きかないし、ロジャー様ひとすじなの」
  それではロジャーにもファンがいたわけだ。 エヴァンスの前では滅多なことは話せない、とトリシーは自戒した。

  5分後、フィリスに導かれて、トリシーは左翼の階段を下り、使用人用の食堂に行った。 そこには既に人々が集って、がやがや言いながら皿を取り交わしたりビールをついだりしていたが、新参者の姿を見るなり、しんと静まりかえった。
  トリシーはスカートの裾を持ち上げ、すっと大部屋に入るなり、陽気に挨拶した。
「こんばんは、ミス・ニュージェントよ。 マッカラムさんちの子供たちの世話をしてたの」
「マッカラム?」
  手近にいたげじげじ眉の男が、真っ先に反応した。
「あの悪ガキトリオの? あんたの手には負えなかろうに」
「ううん、そんなことなかったわよ」
  くすくす笑いながら、トリシーは手にした小さな手提げからトチの実をつないで作ったブレスレットを取り出した。
「見て。 これ、ビリー・マッカラムが私に作ってくれたのよ」
「へえ」
  げじ眉は首を振った。
「5歳のガキでも色っぽい美人には弱いか」
「ビリーはいい子よ。 ちょっと元気すぎるだけで」
「あいつはチビの悪魔さ」
  テーブルの向かいに腰を下ろしていた老人が声を張り上げた。
「あいつは木の枝で作ったパチンコでロジャー様の馬のケツに石ぶち当ててよ、リーランド川まで暴走させちまったんだぜ。 落馬しなかったのが不思議だって、たまたま見てたうちのかあちゃんがよ」
  小波のような笑いがテーブルを伝った。
  自分も笑いをこらえながら、トリシーは何くわぬ顔で尋ねた。
「その後、どうなった?」
「どうもこうも。 ロジャー様はすぐその足でマッカラムの家に行って、ビリーの足首持って大井戸に吊るしたんだと。 泣いてあやまるまで下ろさなかったんだとさ」
  トリシーの表情が固まった。 やはりロジャー・コートニーは一筋縄ではいかないようだ。

  雰囲気にうまく溶け込んで、トリシーは赤ら顔の小間使いの隣りに席を空けてもらい、ブロスと大麦パンにありついた。 
  なぜかフィリスも家庭教師と並んで、同じ食卓の上座で食べている。 どうして正式な食事室に行かないのだろう。 ロジャーに差別されているのだろうか。 どうにも気になったトリシーは、隣席の娘に訊いてみた。
「フィリスさんはなぜここにいるの?」
  後でルーシー・メイという名だとわかった娘は、蕪のスープから顔を上げて答えた。
「自分から来たいって言ったのよ。 ロジャー様と差し向かいで食べると喉を通らないって」
  やれやれ。 ロジャー・コートニーはあちこちで敬遠されているようだった。


表紙目次前頁次頁
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送