いったん捕まえたからはもう屋敷から出さないと決めているのか、ロジャーはその足でトリシーを右翼の子供部屋へ連れて行った。
彼はノックもせずにドアをあけ、慌てて椅子から立ち上がった若い女性に命じた。
「ちょっと出ていてくれ」
「はい」
慣れているらしく、女性はそのまま影のように部屋を出ていった。 ロジャーはテーブルの反対側にきちんと座った少女を眺め、父親のような口調で言った。
「フィリス、この人がメグ・ニュージェントさんだ。 当分おまえの世話をしてもらう。 わかったね」
フィリスを一目見て、トリシーは好感を持った。 いきいきした茶色の眼、きちんとお下げに編み込んでもあちこちから突き出てしまう縮れっ毛、大きめの口と尖った耳。 美人とは言えないが、おそらく美人以上に人目を惹く娘になりそうだった。
物怖じせずにまっすぐトリシーの眼を見つめて、フィリスは挨拶した。
「初めまして」
思わずトリシーは微笑んだ。 するとフィリスは、ロジャーに見えない方の左眼をつぶって、小さくウィンクしてきた。
「よろしくお願いします、フィリスさん」
「じゃ、さっそく頼む」
そう言い捨てて、ロジャーはさっさと部屋を出ていった。
頼むって…… ピンクの外出着のままで、トリシーは立ち往生した。 すると手が伸びてきて、トリシーのスカートの飾りをちょんちょんと引っ張った。
「気にすることないのよ。 あなたを引き止めておきたいだけなんだから」
「やっぱり?」
思わずトリシーが口走ると、フィリスはロジャーの前とは別人のように椅子をまたいで後ろ向きに座り、背もたれに顎を乗せてにやにやした。
「あなたを追い出したこと、ずっと後悔してるのよ。 でも謝れないの。 男の沽券にかかわるんでしょ」
「もう手後れだわ」
トリシーは静かに呟いた。 フィリスはパチパチと瞬きした。
「どうして? アランはまだ生きてるじゃない」
「ええ……」
「間に合ってよかった。 特にロジャー兄さんにとってはね。 アラン兄さんの望みを叶えられてほっとしてるわ。 ロジャーに大切なのはアランだけだもの」
驚いて、トリシーは少女の顔を見つめ返した。 フィリスは悟ったように淡々と言葉を続けた。
「私は愛人の子なの。 ロジャーは世間体があるから、母が亡くなったときに私を引き取っただけ」
とたんにトリシーは胸に鋭い痛みを覚えた。 トミーも、私のかわいいトミーも、将来こういう扱いを受けるのだろうか。 いや、それどころか認めてさえもらえないかも……
またフィリスの手が伸びて、トリシーのスカートを引いた。
「ねえ、アランの話だと、あなたってとっても面白いんですってね。 カンカン踊りをしてて前の席のおじさんのはげ頭を蹴っちゃったりとか、サーカスで綱渡りしてた男の子と駆け落ちしたりとか。 私どきどきしちゃった!」
メグったらそんなことしてたのか! トリシーはたじたじとなった。 私には、たとえ作り話でもそんなことは話せない。 双子の姉妹として生まれたのに、姉のトリシーと妹のメグは、まったく違う環境で育ってしまったのだ。
「そんなの昔のことよ。 もう忘れた」
困った表情のトリシーを見上げて、フィリスはくすくす笑い出した。
「教育上よくないって? 石頭のロジャーなら言いそうね。 まあいいわ。 手を組みましょう。
さっきの女、家庭教師なんだけど、規則ばっかり押し付けてきて全然おもしろくないの。 散歩だって庭をぐるっと回るだけよ。 それも貧血だからすぐ気分悪くなって、歩きたがらないの。
あなたは元気そうだわ。 遊びも知ってそうだし。 楽しくやりましょう。 約束よ!」
フィリスの首を固く絞めつける襟元と、まったく飾りのない袖口を見て、トリシーには想像がついた。 ロジャーには、憧れと不安に満ちた少女の心などこれっぽっちもわかっていないし、わかろうともしないのだ。
この子は味方につけられそうだ――トリシーの眼が輝きはじめた。
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