「弟が、永遠に冥界から抜け出ることのできない『さまよえるオランダ人』みたいになってたら、俺はどうすればいいんだ」
思いがけないフリーダーの弱音に、レニーの胸は張り裂けそうになった。
「なるわけないわ! そんなに自分を責めて苦しまないで! それを心配していたから、だから最後に力をふり絞って、弟さんは手紙を残したんじゃないの!」
「俺に詫びてた、あれか?」
フリーダーの頬を薄い笑いがよぎった。
「なぜあやまるんだ。 この俺に」
「負けたことが申し訳なかったからよ。 自分はだめでも、あなたには生き延びてほしかったからよ!」
「俺たちは何とか暮らしていっていた。 飢え死にする心配はなかったんだ」
「そのために、あなたは無理をしたでしょう? 敵だけじゃなく、身近な人たちまで裏切らなくちゃならなくなったでしょう? 弟さんはきっと心配したんだわ。 このままではあなたに味方がいなくなってしまうって」
不意にフリーダーはレニーの顔に視線を定め、底光りのする目で見つめた。
「無理をしたと思うのか? それが俺の本性だとは思わないのか?」
「思わないわ」
レニーはためらわずに言い切った。
「置手紙の言葉を考えて。 弟さんは、何もかもすまなかった、と書いていたわ。 悪いのはあなたじゃない、自分の死もあなたには責任がない、と言い残していったんだわ。 自殺するという瀬戸際でも、あなたの気持ちを気遣ったのは、好きだったから。 大事な兄さんだったからよ」
その最後の言葉を聞いたとたん、フリーダーは体を半回転させて後ろを向いた。 やがて肩が震え出したので、レニーはフリーダーが泣いていることを知った。
どのくらいかわからない時間が過ぎた。 レニーは体を動かさずに、フリーダーが落ち着くのを待っていた。 やがて彼は小さく息を吐くと、背中を向けたまま、独り言のように語り出した。
「うちのお袋は18のとき、ピクニックで知り合ったバーデンバーデンの金髪男に恋をした。 だがそいつは、子供ができたと知ると手のひらを返したように冷たくなって、逃げやがった。
途方に暮れた母に、ユダヤ人の工場長がプロポーズしたんだ。 何もかも承知のうえで、生まれた子供も正式な長男として認知してくれた」
レニーの口がかすかに開いた。 それではフリーダーはユダヤ系ではないのだ。 母親の証言があれば、ドイツにいられたかもしれないのだ!
「お袋は俺を嫌った。 育つにつれて、捨てた男にそっくりになったからだ。 お袋は絶対に俺を信用しなかった。
だが義理の父はかわいがってくれた。 たぶん哀れに思ったんだろう。 公平な、いい人だった」
似てる……やり口が本当にそっくりだ…… フリーダーの実の父親は、レニーの脳裏に、忘れようとしても忘れられない美しい顔をくっきりと蘇らせた。
「ロルフ・シュタインホッファー……」
無意識に呟いたレニーの言葉を、フリーダーは聞き逃さなかった。 さっと振り返り、まだ腫れぼったい瞼を上げて、レニーを見た。
「だれ?」
「あなたによく似た、私の幼なじみ」
レニーの目にも、ゆっくりと涙が湧きあがった。
「ボンで、隣りに住んでいた役人のひとり息子なの。 小さいときは、とても優しい子だったわ。 私の我がままを何でも聞いてくれて」
フリーダーの表情が変わった。 鋭くなり、注意を集中して耳をすませた。
「それで?」
「それでって……友達だと思っていたわ。 もしかすると弟分だと思い込んでいたかも。
それが、ヒットラーユーゲント〔=少年の親衛隊〕に入ってからすっかり変わったの。 彼はユーゲントに忠誠を示すために、うちの父を密告して、逮捕させたわ。 すぐ母はわたしを連れて逃げる決心をした。 間一髪だったの。 ロルフは酔っ払って友達を連れてきて、家に火をつけた。 真っ赤に燃え上がっているのを、逃げながら見たわ……」
フリーダーは目を閉じた。
「その俺に似た奴は、君にとっちゃ裏切り者の仇なんだな」
「ええ」
レニーの声が惨めに震えた。
「あなたを初めて見たとき、ああ、ロルフに雰囲気が似てる、と思ったの。 ナチの親衛隊に入ったというロルフが、目の前にいるような気がしたの。 道連れに自殺するにはぴったりだと、勝手に決めたわ。 幸い、勇気がなくてできなかったけど……」
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