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国境 15


 レニーは下を向いた。
「怒ったでしょうね。 当たり前よね。 ごめんなさい、フリーダー」
「君も俺にあやまるのか」
  フリーダーの声が虚ろに響いた。 レニーの目から、涙がどっとあふれ出た。
「そうよ、いつも申し訳ないと思い続けていたわ。 でも私には何もお返しができない。 何も持っていないから。 あげられるのは、あなたに必要ないものだけ。 自己嫌悪のかたまりになったわ。 昔、わがまま一杯だった頃には、考えもしなかったことだけど」
「君は俺のために許可証を取っておいてくれたじゃないか。 あれは俺に命をくれたのと同じことだよ!
それに、俺に必要ないかどうか、どうしてわかる? 何をくれるつもりだったんだ?」
  レニーの喉が詰まった。
「フリーダー ……こんな世の中に、一番必要ないものよ。 私の……心よ……」
  たまらない恥ずかしさで、目の前が暗くなった。 レニーはやみくもに道を曲がり、できる限りの早足で歩き出した。 一刻も早く、フリーダーの前から姿を消したかった。

  またたく間に足音が追いついてきて、行く手に立ちふさがった。 肩を大きな手ががっしり掴んで動けなくした。
  フリーダーの声とは思えないほどかすれ、上ずった声が耳に飛び込んできた。
「レニー、レニー ……! 言っても無駄だと思って口に出せなかった。 でもずっと好きだった。 好きでたまらなかったんだ!
  弟を亡くしたばかりでむちゃくちゃになってて、誰かにそばにいてほしかった。 そう頼めばよかったんだ。 だが、できなかった。 俺の正体を知ってると思ったからだ。
  どうせ機嫌をとっても駄目なんだ、愛してしまったら大変だと思って怖かった……
  いつも願っていた。 あの最初の晩の記憶を、君の頭から消してしまえたらと。 キャバレーで踊り子やボーイたちと楽しそうに話しているのを見るたびに思った。 俺もあんなふうにできたらどんなにいいだろうと……
  レニー、かわいいレニー、君を愛していいか? 愛させてくれるか?」
「いいえ!」
  レニーの胸で切なさが爆発して、理屈に合わない反応に変わった。
「だめ! あなたはスイスに私を置いていったわ! もうあんな思いをするのはいや……」
「置いてったんじゃないよ!」
  夢中でレニーを抱き止めながら、フリーダーは小声で叫んだ。
「警察に掴まったんだよ。 二度目だったから、追放処分じゃなく、刑務所に入れられたんだ。 1週間前に出所したんだよ」

  レニーは棒立ちになった。 あのまま逃げていたら、はしこい彼が掴まるはずはない。
――きっとあの町に留まっていたんだ。 私のことが心配で……――
  号泣しながら、レニーは体をぶつけるようにフリーダーに抱きついた。
「フリーダー! 私の大事なフリーダー! もう気を遣わないで。 隠さないでね! こんなにあなたを愛しているんだから、今度何かあったら心臓が止まって死んでしまうわ!」
  深く息をつくと、フリーダーはレニーの髪に顔を埋め、何度も頬ずりした。
「俺も死んじまおうと思った。 君が肺炎で死にかけたときに」

   *   *   *   *   *   *

 2人はひとまず別れなければならなかった。 レニーがフョードルの家に戻って仕事をやり終え、置いてある許可証を取ってこなければならないからだ。
「いつ迎えに行けばいい?」
「明日の夕方に。 そう、7時に」
  レニーは背伸びして素早くフリーダーにキスした。 そして、一生彼の記憶に焼きついて幸せな思い出になった、花のような笑顔を浮かべた。
「スペイン語、話せる?」
「日常会話ぐらいは」
「何でもできるのね」
  真面目にレニーは感心した。
「明日から私に教えてね。 確かメキシコはスペイン語が公用語だと思ったけど、そうよね」
「そうだ」
  レニーは彼の手を取り、子供のように前後に揺すった。
「あなたって素敵。 自分でわかってるわね? 生まれる子供はかわいいでしょうけど、私はきっと、あなたの方を大切にしてしまいそうよ」
  フリーダーの目に、はっとするほど優しい光がただよった。
「明日の夕方まで、どうやって時間をつぶそう? 俺は今夜、眠れそうもないよ」
  2人は肩を寄せ合い、どちらからともなく微笑み合った。 そして固く指をからませ、淡い街灯の光の下を、しっかりした足取りで未来へと歩いていった。

〔終〕





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