その日は朝からどんより曇って、10月にしては冷たい風が街を吹き抜けていた。 レニーはちょっとした買い物を済ませて家に帰り、いつものようにワーニャと2人、留守宅を守っていた。
不意に、ドアにノックの音がした。 レニーははっと警戒した。 知らない者は、郵便屋でもドアを開けるなと言われている。 治安の悪い今のパリでは当然の用心だった。
ドアに近づくと、レニーはそっけない声で尋ねた。
「だれ?」
すぐに明るい声が返ってきた。
「フリーダーだ」
レニーはよろめいた。 そうだ! この声…… でも、まさか……!
かじかんだ指で、レニーはできるだけ急いでドアの鍵を開けた。 かすかに身を震わせなから、そっと覗くと、まぎれもなくフリーダーの大きな姿がそびえ立っていた。
彼は、入口の柱に寄りかかり、口元だけに微笑を浮かべた。 見慣れた粋な仕草だった。
「久しぶり。 元気そうだな」
無意識に、レニーは長い上着の前をかき合わせた。 声が出なかった。 このまま、いつまでも彼を見つめていたかった。
フリーダーは体を起こし、やや早口で言った。
「無事だとわかればいいんだ。 じゃあな」
行ってしまう。 もう帰ってしまうんだ! 狼狽して、レニーは思わず大声を出した。
「待って! ちょっと待って! 渡すものがあるの」
フリーダーは立ち止まり、いぶかしげにレニーの顔を見た。 レニーは大急ぎで自分の部屋に行き、箪笥の奥から紙の袋を出して、つまずきそうになりながら戻った。
袋を無言で渡されたフリーダーは、眉をしかめて中身を引き出した。 その手が、空中でぴたっと止まった。
数秒間が過ぎた。 レニーは大きな丸い瞳で、フリーダーをじっと見つめていた。
フリーダーは、書類を手に持ったまま、ようやくレニーの顔を見た。
「手に入れていたのか、これを」
「ええ」
動悸を押さえながら、レニーは小声で答えた。
「運がよかったわ」
「渡すって……」
何度見ても信じられないように書類を眺め回しながら、フリーダーは呟いた。
「これを俺に?」
「ええ!」
「売れば十倍にも、もしかすると百倍にもなるのに」
レニーは激しく首を振った。
「あなたのお金で買ったのよ。 あなたが私に残していってくれた、あの杭の下にあったお金で。
だから私だけが得をするわけにいかないと思ったの。 あなたにまた会えるかどうかわからなかったけど、絶対にあなたの分も買おうと思ったの。
3日後に出航なのよ。 間に合ってよかった!」
フリーダーは書類にまた目をやった。 再び沈黙が続いた。
それから不意に、フリーダーは顔を上げてレニーの目を覗いた。
「すごいな! 母国が見つかった、もう逃げ歩かなくていいってことだ。 こいつはお祝いしなくっちゃな!
今夜、俺とレストランに行かないか? チキンのうまい店を知ってるんだ」
レニーの胸が、たがをはめたように締めつけられた。
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