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国境 9


 内容がよく理解できなくて、レニーはもう一度、注意深く読み返した。 大切なオットー …… フリーダーはずる賢い子……
  いつの間にかその手紙をくしゃくしゃにしていることに気付いて、レニーは慌てて手の力をゆるめた。
  フリーダーは、すねた子供のように口をとがらせて天井を見上げていた。 レニーはおそるおそる尋ねた。
「この、お母さんって人、あなたの本当のお母さんじゃないの?」
「実の母だよ」
  レニーの息が乱れた。 とても信じられなかった。 こんなえこひいきって……! 同じ腹をいためた子供に、これほどの差をつけるものだろうか。
  フリーダーの持っていた箱から、一枚の紙がひらひらとこぼれ落ちた。 彼がまったく気付かずに外の景色に眼をやっているので、レニーはかがんで拾い上げた。
  そこには、乱れた小さな字が3行並んでいた。
『兄さん
   何もかもすまなかった。
        オットー・ライナーホーフ』
  ゆっくり振り向いて、レニーが茶色の包装紙の端切れを持って立ちすくんでいるのを知ったフリーダーは、素早く手を伸ばして紙切れを奪い取った。
「これは……関係ない!」
  遺書だ、とレニーにはわかった。 これは、オットー・ライナーホーフが国外で書いた、最初で最後の書き物だったのだ。
  レニーの唇が、こらえ切れずにわなわなと震えた。
「弟さん、いくつだったの?」
「20歳」
「ずっとあなたが面倒見てたのね? そうでしょう?」
「どうでもいいよ、もう」
「よくない!」
  レニーはフリーダーに駆け寄り、衝動的に抱きしめた。
  やがて彼がゆっくり抱き返した。 2人はまるでブルースを踊るようにのろのろと、テーブルや椅子を迂回して部屋を回り、フリーダー用のベッドにたどり着いた。
  それから動きが速くなった。 フリーダーは短く息をつきながら服を脱ぎ、レニーを軽々と抱き上げてベッドにそっと置いた。 レニーは眼を閉じて、男がブラウスのボウを解き、胸に顔を埋めるのを感じ取っていた。
 
  ふたりは抱き合ったまま寝てしまい、レニーが目を覚ましたときは午後も遅くなっていて、夕日が窓から黄金色の帯になって入り込み、床を照らしていた。
  フリーダーの姿は既になかった。 予想していたので、レニーは驚かず、ゆっくり起き上がってベッドから足を垂らした。
  裸足の足先に、ひやっとする靴が触れた。 壁の釘からネルのガウンを外してまとうと、レニーは椅子に腰を下ろしてテーブルに肘をついた。
  女たらしのフリーダー。 ただのちゃっかり屋の小悪党に見えていた頃さえ、彼は魅力的だった。 それが深い心の傷を抱えているのがわかった今、レニーの気持ちは大きく揺れ、抜き差しならない恋に変わりつつあった。
  3年前、フリーダーは弟を連れて国境を越えた。 当時は今ほど規制が厳しくなかったから、早めに安全地帯に逃れようと思ったのだろう。 だが急激に情勢は悪化した。 どの国も知らん顔を決め込んでいた。 アメリカさえも亡命者を受け入れなかった……
  結局フリーダーは何一つ頼るもののない冷酷な世界に放り出され、しかも弟の面倒まで見なければならなかったのだ。
  身分証明も国籍もない逃亡者の暮らしがどれほど不安で惨めなものか、この1年でレニーも充分思い知っていた。 必死の思いで警備の目を逃れて隣国に入っても、無国籍者ゆえに警察に追われ、掴まれば追放。 再犯だと前科がついて刑務所に入らなければならない。
「私たちが何したっていうの。 これじゃまるで犯罪者扱いじゃない」
  そう呻くと、レニーはテーブルに突っ伏した。 自分も、フリーダーも、たまらなく哀れに思えた。

  それから10日後、ホテルが警察に襲われた。


 
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