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国境 8


「太くはっきり書いてくれよ。 細っこいとばれるから」
「わかった」
  レニーがテーブルについてペンを構えると、下書きしていたらしい紙を持って、フリーダーは低くゆっくりと読み始めた。
「大好きなお母さん
   僕は元気でやっています。 心配ありません。 誕生日に送ってくれた靴下、受け取りました。 冬の間あたたかかったです。 ありがとう。
  お母さんの誕生日が近いので何か送りたいのですが、こんな暮らしでは思うようにいきません。 ただ心からの愛を贈ります」
  故郷に母を残している――意外な思いで、レニーは手紙を書き終えた。 なぜ一緒に逃げなかったのだろう。
  レニーが渡した紙片に目を通すと、フリーダーは満足げにうなずいた。
「いいよ、この字。 きちんとしてて、いかにも学校出たての男の子って感じで」
「あなたの手紙じゃないの?」
「俺のは自分で書くさ」
  それはその通りだ。 レニーはフリーダーが新手のアルバイトを始めたのかと思った。
「誰かに頼まれたの?」
「誰でもない」
  そう呟き、フリーダーはテーブルに紙を置いて、一番下にサインした。
「オットー ……!」
  思わず口に出してしまって、レニーはしまったと思った。 紙を振ってインクを乾かしながら、フリーダーはぶらぶらと窓に近づいて下を見下ろした。
「誰かから聞いたんだな。 そうだよ。 オットーはこの前の道で車にはねられた」
  片方の肩が上がり、右手が窓枠にかかった。
「死んだなんて言えるか? オットーは家族の希望の星だったんだ。 お袋まで後を追って死んじまうよ」
  言うべき言葉が見つからなかった。 ただ、ひとつだけどうしても解けない疑問があった。
「でも……私の字だってこと、お母さんにはすぐわかるはずよ」
「オットーはな、一度も手紙を書かなかったんだよ!」
  不意に爆発するようにフリーダーが叫んだ。
「国を出たとたんにひどく落ち込んで、やる気が起きなくなってたんだ! 終いには、俺が見張ってなきゃ食事もしなかった。 3年も経ってたら字が変わったってわかるもんか!」
「じゃ、あなたが代わりに書けば……」
「何度もやった! でも信じないんだ」
  フリーダーはレニーの届かない戸棚の上から小箱を下ろし、中から封を切った手紙を出してレニーに投げた。 あやうく受け止めたレニーは、中から便箋を引き出して読んだ。

『大切なオットー
  少し暖かくなってきましたが、まだまだ寒さが身にしみます。 あなたは風邪を引きやすかったから、毎日心配しています。 フリーダーと国外へ逃げて、本当によかったの? 私の友達に頼んで、偽造パスポートでスイスに行ったほうが安全だったのじゃないかと、今でも思っています。
  母さん一人がドイツ人としてこの国に残れて、私の子のあなたが、父親がユダヤの血を引いているというだけで国を追われなきゃいけないなんて、なんという世の中でしょう!
  早くあなたや父さんと再会して、また一緒に暮らせる日を毎日夢見ています。
  フリーダーには気をつけるんですよ。 あの子はずるい、悪賢い子です。 いざとなったらあなたを犠牲にして自分だけ生き残ろうとするに決まっています。 利用されないようにね。
  あなたのことだけを考えています。 強く生き抜いて、母さんのもとに必ず戻ってきてください。
             愛する母より』


 
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