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君は僕の一番! 3



これは恐喝だ!

  その晩、帰り道に低く垂れこめた空を見上げて、結香は心の中で遠吠えした。 いったいどこでどうなって、正体がばれてしまったんだろう。 酔った上のざれごととはいえ、10万で体を売るなんて言ったことをばらされたら、そしてほんとにホテルにまで行ったことを言いふらされたら・・・・行かないわけにはいかないじゃないか! 
  もちろん来てくれるよね、という高飛車な言葉には心底ムカついた。 あのヤロー! 名刺によると、漆原塁という舌を噛みそうな名前の男。 たぶんウルシバラ・ルイと読むのだろう。 ハンサムかつリッチだから、女なんてみな尻尾を振ってすり寄ってくると思ってるのだ。
  佐伯真美がまさにその状態だったことを思い出して、結香は重く息をついた。
  おまけにもうひとつ、いやーな事実があった。
  あーあ、あいつまでMK商事の社員だったなんて!
  それでも足はまっすぐブティックに向き、新しいスーツを (リボ払いで) 買った。

 《シェリダン》はちょっとハイソな若者が行くしゃれた店だった。 結香の服の選択は正しかった。 ショーウィンドウに姿を映してみて、浮いてないのを確かめてから、ため息をひとつついて、結香は店に入っていった。
  漆原の居場所はすぐにわかった。 似たスーツ姿の若い男と並んで、カウンターに座っている。 その背中に、結香はそっと声をかけた。
「こんばんは」
  とたんに彼の隣にいた男が、ガタッと椅子を倒して立ち上がった。 その顔を見て、結香も棒立ちになった。
  それは相田だった。 内輪で婚約したのに、突然結香の前から姿を消して、もう2ヵ月何の連絡もない、あの相田悟朗だった。
   二人が石のように押し黙って見つめあっているのを見て、漆原塁も立った。
「どうした?」
「い、いや……別に」
  相田の声は、惨めにかすれていた。 漆原は何も見なかったように二人を紹介した。
「この人は原口結香さん、こっちは会社の同僚の相田悟朗」
  悟朗がぎこちなく頭を下げたので、結香もつられて同じことをした。 そこへ軽い足音が近づいてきた。
「お待たせ!」
  振り向くまでもなく、結香にはわかっていた。 悟朗と腕を組んでいた、あの派手な娘だ。
  塁が結香に引き合わせた。
「原口結香さん。 こちらは妹で、美紀 (みき) 」
  妹…… 結香は目まいがした。 こんなことって、現実にあるのだろうか。
  茫然としている結香の横で、美紀が楽しそうに言った。
「初めまして。 お噂は聞いてました」
  無意識に結香の口があいた。 噂だと? いったい誰が! いやどっちが!

  美紀は陽気ではしゃぎ屋だった。 すぐに悟朗の腕を取ってせがんだ。
「ねえ、踊りましょうよ。 兄さんたちも、ね?」
  気がつくと、結香は塁の腕の中で、ぼんやりとステップを踏んでいた。 塁はまったく無言だった。 もうろうとした結香の眼はダンスフロアをさまよい、必死で見つめている悟朗の視線を捕らえた。
  言わないでくれと目で頼んでる・・・・結香は情けなかった。 二股かけて、ちゃんと決着をつけないから、こんな悲惨な事態に陥るのだ。
  踊りながら、だんだん結香は泣きたい気持ちになってきた。 なんという悪魔的偶然の一致だろう。 いや、待てよ。 もしかしたら……
  結香の胸に、むらむらと疑いがきざしてきた。 塁はいかにも育ちがいい。 いわゆるおぼっちゃまだ。 とすれば、家柄もいいんだろう。 ところで相田悟朗は離島の漁師の子。 普通の育ちだがボンボンとは言えない。 もしも塁が妹の結婚に反対だとしたら、結香を探してきて相田にぶつけるのが、何より効果的だ。 そうだ、それにちがいない!

 やがてスローな曲が終わり、にぎやかなロックになった。 四人はダンスをやめて席についた。
  とたんに結香が問いかけた。
「お似合いですね。 もう婚約されてます?」
  どっと悟朗の額に汗が吹き出た。 美紀はにこにこして悟朗の腕を取った。
「いいえ。 でももうじき」
  このタラシ野郎、と思いながら、結香は笑顔を作った。
「そう、おめでとうございます」
  塁の思惑どおりになんか動いてやるものか、と結香は心に決めていた。

  四人の間に妙な雰囲気が漂っているのは、誰の目にも明らかだった。 平静なのは塁一人で、まるで何も変わったことはないようにふるまっていた。 しかし悟朗はおびえているし、結香はふてくされているし、美紀はだんだん落ち着きがなくなってきた。
  結局,塁の提案で、二組のカップル(?)はそれぞれ好きな場所で残りの夜を過ごすことになり、ようやく結香は悟朗と別れることができた。

  塁のアウディに乗り込んでしばらくすると、結香は芝居をやめた。 バッグをごそごそやって財布の中身を確認した後、できるかぎり冷たい声で言った。
「おろして。 一人で帰るから」
  塁は、しばらく無言で運転していたが、やがてぽつりと言った。
「ごめん」
  この一言は、これまで彼がしたどんなことよりも残酷だった。 結香は逆上して飛び上がった。
「あやまらないでよ! それだけはしないでよ! いったい人をなんだと思ってるの!  あんたなんか……あんたなんか、二度と顔も見たくない! おろして! 今すぐ!」
  車が止まると、結香は転がるように飛び降りて走り出した。 新しい服も、新しい靴も、どうにでもなれだった。



  翌日の夕方、仕事を終えた結香が、うつむき加減でビルから出てくると、並木の陰から突然人影が現れて行く手を遮った。
  それは悟朗だった。 青ざめて、口元が引きつっていた。
「すまない。 今更あやまっても手後れだとわかってるけど」
「じゃ、何も言わないで」
  また歩き出す結香に、悟朗は追いすがった。
「どうしたらいいか、わからなかったんだ。 僕はこんな平凡な男なのに、不意に美紀さんに告白されて……あれよあれよという間に話が進んで、美紀さんの家族まで乗り気になってしまった。 彼女は専務の娘だから、断りきれなかった」
  専務…… 逆玉なんだ。 結香はわびしくなった。
「どうしてもっと前に、私にちゃんと言わなかったの?」
  悟朗の目が充血した。
「だってさ……会いに行けないよ。 好きなのは君なんだもの」
  結香は思わず後ろに下がった。 何だと? 二股どころかシーソー男なのか?
「どっちにもそんなこと言ってるの?」
「やめてくれよ!」
  彼の眼にはついに涙があふれ、鼻水まで垂れてきた。 結香は閉口してもう一歩下がった。 ふつうこういうときに泣くのは女だろう。
  妙に冷静な自分に気づいたとき、結香の恋は終わった。 息を深く吸い込むと、結香は静かに告げた。
「じゃ私のほうで決める。 もう別れる。 この指輪、返すね」
  前はピッタリだった指輪は、するっと抜けた。 まっすぐ差し出したが男は受け取らない。 しかたなく、そばの木の枝にそっと置いた。
「結香!」
  かすれた声を背後に、結香は小走りで立ち去った。




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