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君は僕の一番! 2


 耐えて忍んでいる昼間には、お誘いは多かった。 同じ会社のサラリーマン たちにはアイドル視されていて、『結香連絡会』なるものまでできて牽制しあっ ているそうな、と佐伯真美が教えてくれた。
  連絡ほしいのはこっちの方だ・・・・まるっきりかかってこない電話に、結香は イライラをつのらせていた。 もうだめなのかもしれないと思う。 いや、99 %だめだと思っている。 あと1%にしがみついているわけではないのに、こっ ちから行動を起こす決断がつかなかった。
 
(こんな自分がキライ)
 
  そのとおりだった。


  表向きの顔は、一週間しか続かなかった。 結香は、日の出ているうちは見 向きもしないピンクポップのキャミに安っぽいウサギ (ラパンと仏語で言うらしい) の毛皮襟つきコートを引っかけて、せこい遊覧旅行に出た。
   山手線に乗ってただようこと40分。 ようやく決心をつけて四谷駅に降り 、最初に目についたバーに入った。
  2軒目のパブで、結香は再び、この前の男と出合った。 結香の方は覚えてい なかったのだが、外人とカラオケで歌って、ふざけながらテーブルに戻る途中 で声をかけられた。
「今夜はまっすぐ立ってられるみたいだね」
  ぎょっとして、結香は相手をまじまじと見た。 すらっと背が高い。 目元が 涼しく、鼻筋が通っている。 結香の給料2か月分のスーツを、いとも簡単に着 こなしている。
  何だ、これは! と結香は思った。 かっこよすぎる。 あらゆる点でスマート すぎる。 美しいだけでなく、態度が洗練されているし、どう見ても金持ち……  ううー、いやだ!
  結香は一目で敬遠した。 だから無視した。 聞こえなかった顔をして、また外 人のテーブルに座りこんでしまった。
 
 30分経っても男はカウンターにとどまっていた。 ジンフィズをさりげなく傾けている。 何をしても決まっている男に、結香はちらちらと視線を投げていた。
  そのうち考えた。 『援助交際』してやろうかと。 もう23歳だからナンチャッテだが、この美男には恨みがあった。
  もちろん逆恨みだ。 立てないほど酔っぱらっている結香を優しく保護して、何もしないで一晩の宿を貸してくれたヤツ・・・・テメー、ナメてんのか! 女として見てないと思い知らせるような態度取るんじゃネーよ!
  このように、理性のかけらもなくなった結香は、青年への復讐計画を練りはじめた。

  閉店時間の0時が近づいてきたので、客たちは席を立ち出した。 結香は大きな外人の後ろにポシェットのようにくっついてカウンターまで来たが、そこで落ちこぼれて青年の横にさりげなく吹き寄せられた。
  彼は顔を上げ、グラスを持ったまま言った。
「送ろうか?」
  結香はうなずいた。

 いつの間にか手をつないで、二人は狭い階段を上り、外に出た。 タクシーをつかまえるつもりかと思ったが、彼はそのまま流れていき、とあるホテルの前で止まった。
「入るか?」
  思ったことを先に言われて、結香は固まった。 なんだか常に前を歩かれている気がする。 なんか悔しい。 手を振り切って帰ればいいものを、ヨッパライの萎縮した脳みそで意地張ってしまった。
「10万!」
  フッと男は笑った。
「この前ならタダでできたのに?」
「値上げ!」
  わけのわからないことを言って、結香は男の手を引っ張ってホテルに入った。
 
  シャワーをあびているうちに、足に力が入らなくなった。 裸でタイルの床に座り込んでいると、お尻が冷えてきた。
「思えば、えくすたしーなんて縁がなかったな」
  これからもない。 ほぼ断言できた。 悟朗を好きだったが、特に抱きたいとも抱かれたいとも思わなかった。 まして知らない男が相手では……
  だんだん前のめりになってバスタブに額がつきそうになったとき、ドアが開いた。 ぎょっとする間もなく、男の腕で軽々と持ちあげられた。
  足をバタバタさせて暴れようとしたが、ぎゅっと持ち直されるとそれ切りになってしまった。
  ベッドに横たえられたときには泣いていた。 われながら最高にみっともないと思い、さらに泣けてきた。 ここまで来て、しかも自分から手を引いてきて、おじけづいているなんて超のつくハジサラシだ。 あんまり恥ずかしかったので、男の高級シャツをズボンから引っ張り出して涙を拭いてやった。
  ついでに鼻をかもうとしたら、男が乗っかってきた。 誘われたと思ったんだろう。 その胸に包まれたとたん、動けなくなった。
 
  細かい描写は抜きにしよう (うまくもないし) 。 結香にとって、10万を逆に払ってもいいと思ったほどの夜になったとだけ言っておこう。
  彼は女に慣れていたが、慣れすぎてはいなかった。 好きだとは言わないが、楽しいと態度で示した。 あったかく、やさしい体…… もしかすると、結香が今いちばん求めていたものだったのかもしれなかった。

  彼が寝息を立てはじめるとすぐ、結香は起き上がってよろめきながら服をまとい、大急ぎで逃げ出した。 パプで考えていたもろもろのこと、財布を抜いてやろうとか、携帯電話でハダカの写真を撮ってやろうとかいうフラチな考えはどっかに吹き飛び、宇宙のかなたでチリと化していた。


  その夜が解毒剤になったのかもしれない。 翌日から結香はもののけから解放されたように明るくなり、自然な笑顔を取り戻した。 もう夜遊びに出たいとは思わない。 10日過ぎても大丈夫、悪の衝動がよみがえる気配はなかった。
  結香はほっとした。 自分で自分をもてあましていたのだから当然だ。 あいかわらず悟朗から連絡はないが、もうほとんど思い出さなくなった。 この分ならまた平和な生活にもどり、いつか恋をする気分になれるかもしれない、と思い始めたとき、天地が引っくり返るような事態となった。
 
 朝から雨が降っていた。 もう2月も終わり。 そろそろ菜種梅雨の時節だ。 うっとうしい驟雨なので訪問者は少なく、受け付けは暇だった。
  真美はせっせとメールを打ち、結香は文庫本をカウンターの下に収めて読んでいた。 そのとき、前に人影が立ち、聞き覚えのある声がした。
「ちょっとお訊きしますが、営業部は何階でしょう?」
  本を持つ結香の指が、ぎくっと硬直した。 まさか……まさか! おそるおそる顔を上げると、そのまさかが目の前にそびえ立っていた。
  男はまったく無表情に、なぜか名刺を差し出した。
「こういう者ですが、営業の芳原さんはおられますか」
  思わず突き出された名刺を受け取ってしまった結香の横で、真美が頬を上気させながら内線電話を取った。
「営業部ですか? 芳原さんはいますか? 今出てる? あ、そうですか」
  残念そうに受話器をおいて、真美はかわいらしく首をかしげて男を見上げた。
「申し訳ありません。 ただいま出張中だそうで」
「そうですか。 それじゃまた伺います」
  さわやかに言うと、男はあっさり出ていった。 私に気づかなかったんだ・・・・結香は倒れそうになるほどほっとした。
  だが、まだ名刺を手に持っていることに気づき、何気なく見直した瞬間、別の意味で倒れそうになった。 すっきりしたミントブルーの紙の裏に、黒々とした字で書いてあった。
『明日の晩8時に六本木の《シェリダン》で。 もちろん来てくれるよね』




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