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君は僕の一番! 4


 単調な日々が続いた。 春だというのに、誕生日が近いというのに、結香の心は冬のままだった。
  受け付けにいるのが辛くなってきていた。 なにかの拍子で、ふと前に漆原塁が立っているような錯覚におちいることがある。 会いたいからだということを、結香はすでに自覚していた。
  またパブに行ったら会えるかもしれないとわかっていた。 磁石に引かれるように、ふらふらと夜の街に歩み出ることさえあった。 ただし普段着で、何も持たないで。 そして、近所のコンビニで週刊誌を買って帰ってくるのだった。

  故郷の岡山に帰って親の顔を見たいな、と最近思う。 だが今年は無駄金を使いすぎたので、帰れそうになかった。 旅費がないなんて母に言いたくない。 まじめな人だから、何に使ったと問いつめるだろう。 夜遊びに使い果たしたなんて言ったらどんなことになるか……


  4月18日、誕生日の朝、いつも通り7時に起きた結香は、ドアの郵便投入口から投げ入れられた新聞を取った。
  その横に、四角い封筒が落ちていた。 手紙なんかめったにもらわない。 ダイレクトメールかな、と思いながら拾い上げた手が、びくっとふるえた。
  切手の貼ってない封筒。 おそらく自分で来て入れたのだろう。 宛名は原口結香様とだけ書いてあり、差出人のところには一行、漆原塁、となっていた。
  開けるのが怖かった。 捨てちゃおうかな、と一瞬思った。 もし金が入っていたりしたら……いや、薄いから小切手か。
  それでもキッチン鋏を使って、結香はていねいに封筒をあけた。 中からは便箋が一枚出てきた。
『駅前の《プランタン》で今夜8時から待っています』
  8時から? 妙な招待状だった。 この前のと同じように。

 退社して、駅に着いたのが7時15分だった。 《プランタン》は帰り道にあったが、のぞいてみる気にはなれなかった。 どうせろくな話じゃない。 今日は誕生日なんだ。 金持ちのわがままに付き合っていられるか。


  8時少し前に実家から電話があった。 母からで、誕生日おめでとうと言ってくれた。
  父に代わったりして時間を取り、携帯を畳んだときには8時半を回っていた。
  そうなって初めて、結香は度胸がすわった。 30分過ぎ。 微妙な時間だ。 からかわれたのなら、初めから来ていないだろう。 もし本気で会いに来たのなら、たぶん30分は待つはずだ。
  顔を合わせるつもりはなかった。 自分にもそう言い聞かせるために、普段着と突っかけ(ミュールではない)で、結香は夜の道を駅までとことこと歩いた。 それでもう10分かかってしまった。
 
  《プランタン》は小さくて家庭的な料理店だった。 結香は窓の横に潜み、そっと中をのぞいてみた。
  塁はすぐに見つかった。 一番奥の席でコンソメらしきものを口に運んでいる。 覚えていたはずの顔よりずっと美形なので、結香は思わず見とれてしまった。
  そのとき、くしゃみが出た。 それもとんでもなく大きなもので、体が二つ折りになるほどの勢いで出た。
  バカだ・・・・つくづく自分が情けなくなって、結香は身をかがめ、窓の下をヨチヨチ歩いて逃げ出した。

  やはりのぼせていたにちがいない。 4月の夜はまだ冷えるのに、こんな薄着で出てくるからだ。 結香は自分をひそかに罵りながら、とぼとぼと歩いていた。
  その前に、不意に人が立ちふさがった。 肩で大きく息をしている。 鼻をかすめたコロンの匂いで、顔を見る前から塁だとわかった。
「待って」
  動いてもいないのに、塁はそう言って、苦しげに息を吐いた。
「来てくれたんだ」
  「行ったってわけじゃ……」
  自分でも言い訳がましいと思って、結香は言葉をとぎらせた。 そして、自分から口を切った。
「悟朗が……相田さんが美紀さんと婚約したんでしょう?」
  塁はきょとんとした。
「どうしてわかった?」
「だって、他に知らせることなんかないから」
  塁の口が小さくふるえた。
「そういうふうに思ってるんだ」
  他にどう思えっていうんだ。 結香は虚しかった。
「妹さんのために私に近づいたんでしょう?」
  塁はうつむき、それから顔を上げて何かを探していたが、間もなく小さな公園を見つけて、結香をうながした。
「あのベンチに座ろう。 立ったままじゃ何だから」
  ためらいながらそばに来た結香に、塁はコートを脱いで着せかけた。 二人は並んでベンチに座った。
「確かに最初は妹のためだった。 妹の、というより、美紀のしたことのためだった。
  あいつ、相田に君という人がいるのを知ってて強引に迫ったんだ。 相田のデスクで君の写真を見つけて、盗んできてダーツの的にしていた。 その写真を僕が見つけた。
  君を探しあてて様子を見に行って、荒れてるのがわかったときは気がとがめた。 何も知らないで、妹の恋の後押しをしてたから。
  できるだけ君を守ろうと思った。 初めはそのつもりだったんだが……」
  塁の胸が大きく上下した。 相当緊張しているらしかった。
「君があんまり無用心に遊び歩いているから、気をつけないと後悔することになると悟らせようとして、ホテルに連れこんだ。 ただおどかすだけのはずだったんだ。 それがああなって」
  声がかすれてきた。
「あれからはもう夢中だった。 急に遊びに来なくなったから、避けられてるとわかって我慢できなくなった。 相田がどうなってるか知ればあきらめるだろうと思って、それで《シェリダン》に呼び出してしまった」
  冷えていた胸に血が通いはじめるのを感じながら、結香は小声で言った。
「やっぱりわざと鉢合わせさせたんだ」
「ひどいことしているのはわかっていた。 でもやってすぐ気づいたんだ。 これは誤解される、妹のためにやったと思われるだろうって。
  相田もそう思った。 あの後で殴られたよ」
「殴られたって……」
  結香は息を呑んだ。 塁は目を伏せて低く笑った。 自嘲的な笑いだった。
「君は僕を初めから好きじゃなかったよね。 嫌味なプレイボーイかなにかだと思っていただろう」
  そう……かな? そこまでは思っていなかった気がするが、結香は黙っていた。
「好きだとずっと言いたかった。 部屋に女性を入れたのも、ああいうホテルに行ったのも、初めてだと正直に言ってしまいたかった」
  なに?! 結香の眼がまん丸になった。
  ゆっくりと息を吸い込むと、塁は結香に小さなものを手渡した。 結香は戸惑った。
「これは?」
「バースデイプレゼント」
  結香は息を止めた。
「……知ってたの?」
「相田が教えてくれた。 仲直りのチャンスだって。 開けてみて」
  こわばった指でリボンを取ると、中から見事なダイヤの指輪が出てきた。 結香は当惑の極に達した。
「これは立派すぎる!」
「給料三か月分」
  婚約指輪だ…… あまりにも急激な展開に、結香は放心状態になった。
  星がかぼそく光る空を見上げて、塁はつぶやいた。
「いらないなら捨ててくれ。 他の人にあげるつもりはないから」
「捨てるって……」
  言葉が喉に詰まった。 つい本音が出た。
「なんてもったいないことを!」
「受け取ったら婚約だよ」
「あのね!」
  結香は遂に怒った。
「そのぜいたく何とかしなさいよ。 本当のこと言えばね、私だってアルマーニなし、アウディなしのあなた自身は好きだったのよ。 他の男にはキスする気も起きなかったわよ。 だからって……」
  最後まで言えなかった。 塁が雷に打たれたように倒れこんできて、力いっぱい結香を抱きしめたからだ。


「あったかいなあ」
  結香をコートごと抱きこんで、塁はつぶやいた。
「大好きだよ。 ちょっと変わってるし、ちょっと抜けてるけど。 アルマーニとアウディなしの僕を好きになる女性なんて、そうはいないよ。
  何回か受け付けにいる君をこっそり見に行ったんだ。 会いたくてさ…… 相田がやっと君をあきらめて美紀と正式に婚約したから、もう一度だけ運を試してみようと思ったんだ」
  結香は、そっと彼の手に自分の手をすべりこませた。 これまで生きてきた中で、最高の誕生日だったと思いながら。

〔終〕






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