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Chapter U-10


 コリンヌは、その言葉を聞くなり、上席客の後ろで足が動かなくなってしまった。
 再婚……ご主人が考えていたのは、それだったんだ。 もう私の居場所は、この家にはない……。
 目の前の情景が薄れ、灰色にぼやけた。
 やがてシルヴァンが椅子から立って、近づいてくるのが見えた。
 彼はコリンヌの手を取り、耳のすぐ上でかすかに囁いた。
「こんなところで勝手に発表してすまない。 だが、怖かったんだ。 君がおいそれと逃げられないところで、先に言ってしまいたかった。
 君を愛しく思っている。 子供たちと同じに、いや、それ以上に。 君が妻になってくれるなら、一生大切にする」


 コリンヌは、ぼうっとなった。
 床も壁も天井も、すべてが揺れている。 まっすぐ立つのが難しくなって、コリンヌはシルヴァンにもたれ、寄りかかってしまった。
 ざわめきと共に、どこからか拍手が起き、部屋全体に広がっていった。


 これで二人は正式に婚約したことになった。 客たちに冷やかされながら、シルヴァンは懐から指輪を出してコリンヌに渡し、明日誓約書を作って、できるだけ早く式を挙げることを決めた。




 婚約祝いだ! と、組合員たちは強引にシルヴァンを連れ出し、飲み会にさらっていってしまった。
 残されたコリンヌは、上気した頬を抑えて、しばらく自分の部屋の窓際に座っていた。
 それから、高まってきた胸の鼓動を抑え切れず、裏階段から庭に忍び出て、太陽が斜めの光となって差し込んでいるベンチに一人腰掛けた。
 幸せだった。 ずっと密かに憧れていた人が、彼女を望んでくれた。 心をこめて家を整え、料理を作り、子供たちを可愛がった、そんなコリンヌの想いを、受け取ってくれた。
 皮肉なものだ。 相手がシルヴァンなら、父はきっと喜んで婿と認めるだろう。 だが、今の私は……
 そのとき、かすかな音がした。 枝と枝の擦れ合う、カサッという音だった。
 コリンヌが左に顔を回すと同時に、繁った生垣を割って、男が姿を見せた。
 その金髪と、澄み切った宝玉のような青い眼を見分けた瞬間、コリンヌは息を止め、はねるようにベンチから立ち上がった。


 ゆっくりと帽子を取ると、パトリスはできるだけ警戒させないように、コリンヌに話しかけた。
「驚かすつもりはない。 シールは死んで、地獄に落ちた。 君を脅かすものは、もうないんだ。
 それを知らせるために、ここへ来た」
 コリンヌは答えず、聞いたという兆候も見せなかった。 ただ無言で、以前にも増して美しい誘拐犯を、じっと見つめ返した。
 パトリスは、手の中で帽子を持ち替え、再び語った。
「君がベルンに戻りたいなら、送っていく。 信用できないだろうが、旅費を渡すから、もし……」
「帰るつもりはないわ」
 コリンヌは話を遮った。 冷たく単調な声だった。
「ここへ引き取られて、最初に給金を貰ったとき、父に手紙を書いたの。 しばらくして返事が来たわ。 いかがわしい事件に巻き込まれたお前は、家の評判に傷をつけた。 同封した金で修道院に入るか、自活する道を自分で見つけなさい、と書いてあった」
 パトリスの頬が痙攣した。 目が黒ずみ、暗い光を放った。
「君には何の傷もついていないはずだ。 そのほうが高く売れるからだ。 船が座礁した場所が、父上にはわからないのか」
「もういいのよ」
 コリンヌは投げやりに答えた。
「父は私を甘やかしただけで、本当に愛したわけじゃなかった。 簡単に見放して、妹の一人に乗り換えられる程度の存在だったのよ」
「君には何の落ち度もないのにか?」
 パトリスは顎を上げた。
「反省させてやろう。 手はいろいろある」
 コリンヌは眉をひそめた。 何か言い返そうとしたが、やめて一旦口をつぐみ、それから提案した。
「今はここに勤めていて、忙しいの。 後でまた会える?」
 パトリスは驚いたが、承知した。
「わかった。 いつ頃がいい?」
「八時に、あそこの表通りにあるデュレ橋の上で」



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