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Chapter U-8


 ご主人は何を言いたかったんだろう。
 廊下を素早く歩くコリンヌの動悸は、激しく乱れた。
 料理を誉めてくれたのは確かだ。 だが、その後に続くはずだった言葉が、コリンヌには恐ろしかった。
 シルヴァンは慈悲深く、行く当てのなかったコリンヌを、何も聞かずに雇ってくれた。 船の難破事故があった日、彼はたまたま近くの道を通りかかったのだ。
  近所で、自分のことが噂になっているのは知っている。 家事を任せるには若すぎる、愛人なのではないか、いやもっと大胆に後添えの座を狙っているのではないか、と人々は口々に言い合っていた。
 だが、一切そういうことはなかった。 それだからこそ、コリンヌはシルヴァンが根のない噂にうんざりして、自分を解雇するのではないかという恐れに脅かされていた。
 これまでも、何度か不安になったことがあった。 ただの考えすぎで済んだが、今度だけは違うような気がする。 さっきのシルヴァンの顔は強ばっていた。 不自然に緊張しているようだった。


 メイドだけでは足りず、下男まで動員して、大きな盆に載せた料理が廊下を行き交った。 食堂と客間を兼ねた大広間では、客たちのにぎやかな声がしている。 コリンヌは目立たないように戸口の横に立ち、運ばれてくる料理の置き方を小声で指示した。
 人々は、すぐ陽気に食べ始めた。 コリンヌはドアを閉めようとしたが、思いついて体を戸口で隠しながら、そっと屋敷の主人を見つめた。
 シルヴァンは、テーブルのあちこちから話しかけられ、その度に顔を動かして誠実に答えていた。 肩まで伸びたダークブラウンの髪が、右に、左に揺れる。 まっすぐな鼻と大きめな口が、親しみやすい雰囲気を作っていた。
 いつもは、こんなにしげしげ見入ることのできない顔だった。 でも、これが最後になるかもしれないから……コリンヌは、黙って見とれているうちに、胸を絞られるような辛さに押し流された。


 他の使用人たちも、台所で食事をしているはずだ。 庭には誰もいないだろう。
 一人で思い切り涙を流せるところに行こうとして、コリンヌは塀に覆われた庭の端に向かった。 ところが、井戸とベンチのある空間には、やんちゃなギィとシュゼットのきょうだいがいて、平たい石ころでペタンクの真似をして遊んでいた。
 コリンヌの姿を見つけると、二人は大喜びで飛んできた。
「やっと来た! 今日はずっと台所にいて出てこないんだもん。 つまらなかった」
「ねえ、秘密の罠ごっこ、またやりましょうよ。 ほら、あの枝がいい。 あれを半分切って、泥棒を落とそう!」
 コリンヌは泣きたい気持ちを一瞬忘れて、吹き出してしまった。 庭の奥に生えたリンゴの樹は、頬が落ちるほどおいしい実がなる。 それを知っている近所の悪童が、塀から伝って木に登り、まだ熟していない実を盗んでいってしまうので、コリンヌが大枝に切れ目を入れて、木の実泥棒を地面に落としたことがあった。
「もうあの子は来ないわ。 お尻に大きな痣ができて、しばらく足を引きずってたから、もう懲りたでしょう」
「じゃ、他の遊びしよう。 山崩しは?」
 もうめそめそする時間はないと諦めて、コリンヌはいさぎよく承知した。
「いいわ。 二人で小枝をできるだけ集めて」
「かしこまりました!」
 ギィ少年は最敬礼して、妹と共に木陰を這いずり回りはじめた。



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