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Chapter 8


 半月後に、ラ・ロシェルは陥落した。
  アレスは占領軍には加わらなかった。 いろいろ役得があるのに、とレオンは嘆いたが、結局親友とともに一足早くパリへ戻ることにした。
  その帰り道に宿を取った旅籠で、またもやアレスは狙われた。 ただし今度は用心していたので、逆に撃ち返して相手を負傷させ、つかまえることができた。 それはアレスの知らない顔だった。
「誰に命じられた?」
  暗殺者はそっぽを向いた。 まだほんの少年といっていい年ごろだ。 その美しい顔をじっと眺めていたアレスは、不意に立ち上がって彼の服の袖をまくりあげた。
  細めの手首には、はっきりと擦れた跡が残っていた。 次第にアレスの顔が青ざめた。
  やおら少年の背中をむき出しにすると、そこには鞭の跡がなまなましくついていた。 アレスは手を離し、虚ろな声で尋ねた。
「あの男は今、どこにいる? 《シール》は?」
  少年の顔が蒼白になり、息遣いが速まった。 その傍に膝をついて、アレスは優しささえ感じられる声で言った。
「守ってやる。 必ずあの男を滅ぼしてやるから怖がるな。 今あいつはどこにいるんだ?」
  しばらくためらい続けた後、少年は震えながらささやいた。
「モンディージュのそばの宿屋。 『兎と罠』」
  アレスの片頬に、暗い笑いが張り付いた。
「実にぴったりした名前だな」
  少年をレオンに預けて、アレスはモンディージュへと向かった。
 
  黒服の男はいらいらしながら部屋を歩きまわっていた。 やがて右手の拳で左の手のひらを叩きつけ、つぶやいた。
「ピエールの奴、失敗したな。 殺されたのかもしれん。 さて、どうしたものか」
  カーテンがかすかに動いた。 《シール》は気付かずに独り言を続けた。
「あいつが生きているなどと誰が思う。 確かに刺し殺して海に捨てたのに。 くそっ、埋めてしまえばよかった」
「そのとおり」
  低い声が響いた。 《シール》は飛び上がって,足をふるわせながら振り向いた。
  カーテンの陰から、黒っぽい服装のアレスが静かに進み出た。 《シール》の口から、締められたような呻きが漏れた。
「久しぶりですね、猊下(=尊称で、フランス語だとシール、英語だとサーになる)」
「やめろ」
  《シール》の声が惨めに揺れた。
「な……なんでもやる。 宝石,金、領地…… そう、領地はどうだ? 大手を振って暮らせるぞ」
「そしていつまでも、あなたの繰り出す暗殺団と闘うのですか? ごめんです」
  アレスはゆっくり剣を抜いた。 《シール》はかすれた悲鳴を上げて後ずさりした。
「お願いだ。 お願いだから、パトリス!」
  たちまちアレスの顔が引きつった。
「その名前で呼ぶんじゃない!」
  叫ぶと同時に剣が繰り出された。 心臓を一突きされて、《シール》は前のめりになり、床に倒れて、海老のように丸まった。
  膝をつき、確かに死んだことを確かめてから、アレスはつぶやいた。
「もうこれで、人さらいも奴隷商売もできない」
 

 翌日、終戦のどさくさ紛れにギヨーム・ド・カリエール司教が強盗に襲われて亡くなったという噂が、人づてに広まった。
  レオンの部屋で小さくなっているピエール少年に、アレスはずっしりした金袋を投げて言った。
「宝石は足がつくから、海に捨ててきた。 これで故郷へ帰れ。 全部忘れて堅気に戻るんだ」
  少年はうるんだ眼でアレスを見上げた。
「帰りたくないです。 親父に売られたんだから」
  アレスの表情が硬くなった。 少年は彼ににじり寄って、希望をこめて頼んだ。
「あなたの従者になりたい」
  当惑して、アレスは瞬きした。
「そんなものはいらない。 雇う金もないし」
「金ならこれが!」
  ピエールは金袋を振りかざしてみせた。

  少年がどこまでもついてくるので、レオンの方が根負けした。
「とりあえずオレの部屋へ泊まれ。 パリへ着いたらなんとかするから」
「俺は従者なんか要らん」
  アレスは相変わらず頑固だった。 レオンは説得にかかった。
「いれば便利だよ。 馬の世話も銃の手入れも皆やってもらえる」
「僕、ものをかっぱらってくるのもうまいですよ」
  少年は眼を輝かせた。 アレスは溜め息をついた。
「こいつを野放しにしておくと、俺たちは決闘ばかりする羽目になるぞ」

  結局、ピエール少年はアレスとレオンの共同の従者ということになり、グレベールのはからいで小さなベッドをもらって、銃士たちの部屋で寝ることになった。 素直でかわいいピエールは、じきに小隊のマスコット的存在として可愛がられるようになり、剣術などを一生懸命練習する姿が見られた。


 もう秋が迫っていた。 日曜日に、久しぶりでアレスがサクレクール寺院の中庭に腰を下ろしていると、参拝を終えたグレベールがやってきた。
「おい、また決闘じゃないだろうな」
「もう喧嘩沙汰はやめました」
「そうらしいな」
  横に座って、グレベールはさりげなく言葉を継いだ。
「戦争中はよくやった」
「命じられたことをしたまでです」
「完璧にやってのけた」
  この誉め言葉には何が続くのだろうと、いくらか皮肉にアレスは隊長の顔を見た。
「実は俺は、中隊長に昇進することになった」
「おめでとうございます」
「それで、おまえを次の小隊長に推薦しておいた」
  アレスは唖然として口をあけた。
「はあ?」
「何を驚いている。 おまえは腕が立つし人望もある。 どうやら見かけより親切らしいしな。 あの行き場のない子供をよく面倒みてやっているな」
  閉口して、アレスは打ち消した。
「やさしいのはレオンです。 俺は別に」
「レオンはちゃっかりしているんだ。 自分の仕事まであの子に押し付けている。 それに引きかえ、おまえは陰で負担を軽くしてやっているな。 ちゃんと見たんだ」
  アレスは立ち上がった。
「ともかく俺は、いつまで銃士隊にいるかわかりませんから」
「どこへ行くつもりなんだ?」
  アレスの端麗な顔に影が走った。
「僧院に行くかも」
  驚いて、グレベールも続いてぴょんと立った。
「バカなまねをするな! そんなことをすると、女たちばかりでなく……この俺もがっかりする」
  アレスは笑い出した。




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