表紙
 part 1

 麻貴〔まき〕は、歌わずにはいられないから、歌っていた。 始めは騒音の凄い近所の町工場の裏で。 それから友達に連れられて行ったカラオケで。
  間もなく一人でも行けるようになった。 休みの日に、喉から血が出るまでシャウトしたことがあった。
  そして、ある日不意に街頭に出た。 
  親はたまげた。 引っこみ思案で有名な子だったからだ。 友達は数人いたが、いつも聞き役で、物静かという評価が定着しかけていた。
  それが、街に出て歌ったことで、180度変わった。 本人がではない。 回りがだ。
  自分で作りためた歌をそっと歌った――それがインディーズでのデビューになり、口コミから火がついて、わずか2ヶ月でCDの売り上げが万を超えた。
  二曲目は更に売れた。 テレビ映りのいい容姿だったため、早くから深夜番組に呼ばれ、その効果でまた売れた。
  気がつくと半年で、麻貴は『森住〔もりずみ〕まき』として若年層に知れわたり、いよいよCD売り上げベストテンに近づきつつあった。
 
  マネージャーの斎藤澄子〔さいとう すみこ〕は頼もしく、てきぱきと仕事をこなしていた。 担当のタレントが売れるとうれしい。 特に『森住まき』は、と澄子は思う。 森住まき、本名五十嵐麻貴は、礼儀正しく、私生活がまじめで、突然名前が売れてきても、まったく調子づかなかった。 普通の子より普通らしい、と澄子は感心していた。
 
  もちろん人間だから、欠点はあった。 まきの場合、それが見過ごしにできない性質のもので、澄子は密かに頭をかかえていた。
  森住まきは、極度の男嫌いだったのだ。
 
  芸術家だから、ある程度の変人ぶりは仕方がない。 だが、まきの場合は極端だった。 男性に触れるなんてもってのほか、半径50センチ以内には近づけない有様なのだ。 だから中学、高校と持ち上がりの女子校にいたという。 澄子はあきれて二の句が継げなかった。
「ねえ、まき。 電車通学できなかったんだって?」
「はい」
  メイクしながら、まきはおとなしく答えた。 澄子は天井を見上げて白目をむいた。
「そんなんじゃ、芸能界どころか日本中どこ行ったってやってけないわよ」
  まきはうつむき、地味な色の口紅を2本出した。
「どちらがいいと思います?」
「メイクの人に聞きなさいよ」
  澄子はそっけなく答えた。 まきは自分でメーキャップしたがる。 男性のメイクさんに触られるのが嫌なのだ。 だからいつも女性に頼んでいるが、それも本当は苦手らしかった。
「ともかく慣れよ、慣れ! いい? 苦手だと言って逃げてちゃ、一生恋ができないよ!」
  恋なんかいいんです、と言いたそうなまきを無理やり引っつかんで、澄子はスタジオの片隅に連れていった。
「カクちゃん! ちょっとカクちゃん?」
  カメラのコードに足を取られそうになりながら、小柄なADがセットの後ろから顔を出した。
「何ですか、斎藤さん?」
  色白の少年ぽい顔が見えたとたん、澄子にしっかり握られているまきの手が汗ばんだ。 心なしか、わずかずつ後ずさりしている気がする。 兄と弟にはさまれて育った澄子は、まきの態度にいらだちを覚えた。
「カクちゃんに挨拶してごらん。 そばに行って自己紹介して、頭を下げるだけでいいのよ」
  まきはためらった。 顔色が悪い。 下唇をぎゅっと噛んでいるのを見て、澄子はドーベルマンのように唸りたくなった。
「女だか男だかわからないカクちゃんなら大丈夫だと思ったのに!」
  耳元で鼻息荒くささやくと、まきは困った表情で眼をあげた。
「すみません」
  心からすまなそうな少女を見て、澄子は我に返った。 
――『平成の鬼瓦』と言われた私とはちがうんだ。 アーティストはもっと繊細なんだから――
「私も、ごめん。 あせりすぎた」
  いさぎよく言うと、澄子はまきの肩を抱いて いったん廊下に出た。 そして低く言い聞かせた。
「セッションの話が来てるのよ」
  驚いて、まきは大きな眼を上げた。
「セッション、ですか?」
「そう。 まあ、前座みたいなものだけど。 でも相手があのダイナスティーだから」
  それは、ナッスィー(ナッシーではない)と呼ばれて大人気のきれいな男子4人組で、若いのにもう2年あまり、数々のヒットを飛ばしていた。
  「人気なわりには、あの子たち気さくだけど、そばに寄るのもいやだなんて態度取られたら、さすがに気わるくする。 だからね、なれてもらわないと困るの」

  澄子は知り合いの若者たちを一人一人思い浮かべた。 ナッスィーのメンバーに似た、すらっとして鼻の高い美形はいないか…
  そうだ! 不意に思いあたって、澄子はぴしゃぴしゃと自分の膝を叩き、ガッツポーズまでした。 よく似たのが一人いる。 士朗だ!
  士朗は、中堅のバンドのギタリストだった。 もしかするとダイナスティーの連中より美男かもしれないのだが、そのバンドは汚い、というか、むさ苦しいのが売り物で、どうやっても不細工になれない士朗は後ろの方に引っこみ、毛糸の帽子と大き目のグラスでほぼ完全に顔を封鎖していて、まったく目立たなかった。
  彼は澄子の遠縁にあたるため、話をつけやすかった。 その日の夕方のスケジュールを調整して、士朗は澄子の所属事務所に現れた。
 ジーンズにGジャン、短いシャツというラフな格好で、ドアをあけて入ってきた士朗は、澄子に手をあげて挨拶した。
「よう」
「あ、シロちゃん」
  急いで澄子は、隣りの部屋で仮眠を取っていた麻貴を連れてきた。
「まき、シロちゃんよ。 私の又いとこ」
  半分眠ったまま、ぼんやりした眼差しで、麻貴は士朗を見た。
  そのとたん、眼が裂けそうに見開かれた。 麻貴が飛びのいたので、がたんという鈍い音を立てて丸椅子が倒れた。
  澄子は首を振った。
「まき、いいかげんにしなさいよ。 シロちゃんは狼なんかじゃないの。 あんた自意識過剰」
  麻貴はソファーの後ろまで逃げていた。 黙然と立っている士朗に、澄子は詫びた。
「ごめんね。 この子、男に妙に弱くてね。 免疫つけたいの。 無理言ってあんたのスケジュール2日もらったから、この子と行動共にしてもらえないかな」
  断って。 絶対に断って!――祈る気持ちで、麻貴は目の前の輝くような美男を見つめていた。 だが、士朗は麻貴を見ずに、ぽつりと言った。
「いいよ」
 

 いつも通り帽子を目深にかぶり、色つきのグラスをかけると、士朗の美貌は目立たなくなった。 アシスタント・マネージャーという触れ込みで、翌日から、士朗は麻貴の隣りに乗り込み、リハーサルに出向いた。
  その日は忙しいダイナスティーのメンバーがそろわず、からみはなかった。 しかし、士朗がべったりとどこへ行くのも一緒なので、麻貴は冷や汗のかき通しだった。
  彼がそばへ来るだけで胃が重苦しくなる。 車の中でコートの裾が脚にふれたとたん、鳥肌が立った。 だが、気を遣う性質の麻貴は、士朗に申し訳ないとも感じていた。 何の関係もないし、麻貴に興味もないのに、こんな損な役割を引き受けさせられて、士朗は文句ひとつ言わない。 きっといい人なんだ、と麻貴は思い、できるだけ嫌悪感を隠そうと努力した。
 
  その努力は少しずつ実を結んだ。 夕方には、並んで立っていても我慢できるようになってきた。
  楽器のセッティングとダンサーの配置で少しもめて、なんとかまとまったのが4時過ぎだった。 黒いタイツから汗をにじませて、男性ダンサーがそばをすり抜けていく。 無意識に麻貴は、右にいる士朗の方に身を寄せていた。
  野外のステージなので、風が冷たかった。 今日一日のささやかなお礼として、麻貴は近くの自販機で、熱い紅茶2缶とホットコーヒーを買ってきた。 紅茶は自分と澄子の分、そしてコーヒーは、嫌な役回りの上にマネージャーの仕事まで手伝わされた士朗の分。
「これ飲みます?」
  小声で言って、麻貴が缶を差し出すと、士朗ははっとしたように顔を上げた。 その顔が、思いがけなくほころんだ。
  不意に麻貴は、胸が痛くなるのを感じた。 昔、はるか昔、こういう笑顔が自分に向けられるのを夢に見た日々があった。 毎日が真っ暗で生きた心地がしなかった日々。
  麻貴は笑顔を返すことができず、さっと手渡すと澄子の脇に座った。
「あっちに行きなさい。 慣れなくちゃ」
  麻貴は思わず首を振った。 澄子は溜め息をついた。
「明日はがんばるのよ」

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