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表紙

薫る春  2


 沼袋〔ぬまぶくろ〕の駅から徒歩十分のベルシャン・マンションは、白大理石風のエントランスを持つ小じゃれた七階建てだった。
「うん、管理人常駐でオートロック。 エレベーターにも防犯カメラついててね、トイレとバスがセパレートで、おまけにウォッシュレット」
「すごっ、一流ホテル並みじゃん」
 携帯から親友(珍友?)飛鳥〔あすか〕の叫び声が漏れてきた。 赤い字で割引広告をベタベタと出しているクリーニング店の前を歩きながら、紗都〔さと〕は顔をしかめて電話を耳から離し、ぼそっと付け加えた。
「最新設備なんだけどさ、そこから古着着て出てってポスティング(=ちらし配り)なんかやると、違和感ありありだよ」




 日の出ている時間帯は、たいてい外にいた。 夜のバイトは父から禁じられている。 利益率のよかったカテキョー(=家庭教師)は、生徒がめでたく合格してしまって終わり。 だから、主に足で稼ぐしかなかった。


 通いなれた『ワーク・カサイ』の看板が見えてきたので、紗都は暇つぶしの電話を切った。
 そこは、要するに便利屋だ。 社長は、見た目は若いが結構なベテランで、電気工事士と危険物取扱者の資格を持ち、なかなか評判がよかった。
「こんちはー」
 声をかけながら、紗都がガラガラと引き戸を開けて入ると、奥のデスクに立ったまま寄りかかって頭を集めていた男二人が振り返った。
「あ、紗都ちゃん紗都ちゃん、君にぴったりの申し込みがあんのよ」
 加西〔かさい〕社長の片腕で相棒の長野が、急いでメモを手に取って歩いてきた。
「ハケンなんだけど、演技力が要るんだ。 杉並区のお年寄りが、短期の孫をほしいって」


 どうやら、便利屋の重要な業務の一つ、出席代行の仕事らしかった。










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背景:風と樹と空と
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