表紙

怪盗ゲイル 5



 レンフィールド卿は、くいいるようにジェニファーの異様な姿を見つめた。
「それはいったい誰のマントだ」
  ジェニファーは凄絶に微笑した。
「さあ、誰のでしょう」
  レンフィールド卿は一歩踏み出した。
「口答えするのか! こんな真夜中に、結婚前の娘が男のマントを着て……」
  マグダ夫人が大きく夫の袖を引っぱった。
「それはまた後にしましょう。 こんな事件の最中だし、よその方や召使たちのいる前で話すことじゃないわ」
「自分の部屋に行っておとなしくしていなさい!」
  レンフィールドはジェニファーを怒鳴りつけた。 額に血管が浮き出ている。 よほど腹を立てているらしかった。
  ジェニファーは動かなかった。 まっすぐ立って後見人を見つめたまま、冷ややかな声で言った。
「おじさまのいうことを聞くつもりはないわ」
  たちまちレンフィールドの顔が真っ赤になった。 そして居間を見回し、壁にかけてあった予備の乗馬鞭を見つけると大股で歩みよって引き下ろし、ジェニファー目がけて飛んでいった。
  ジェニファーは逃げなかった。 動いたのは別の人間だった。 アラン・フィッツパトリックの大きな体がすっとレンフィールドの前に立ちふさがり、ぎゅっと腕をつかむと、子供からもぎ取るように簡単に鞭を取り上げてしまった。 いつもながら落ち着いた声が言った。
「預かっているお嬢さんを鞭で打つとは穏やかじゃないですね」
  軽く握っているようなのに、レンフィールドは腕をたわむほどねじられて、額に脂汗を浮かべた。 はらはらして見守っていたマグダ夫人が小声で叫んだ。
「もうやめて! 腕が折れてしまうわ」
「折りたいでしょうね」
  ジェニファーの言葉に、一同ははっとして視線を集中した。 当のジェニファーは、じっとアランを見つめ続けていた。
「望みのものは手に入ったんでしょう?」
  呼びかけられたアランは、ジェニファーを見てはいなかった。 彼の視線の先にあるのは、かわいい顔から血の気を失ったメアリだった。
  メアリは小さく、しかしはっきりとうなずいた。 アランの口から、かすかな吐息が漏れた。
  ジェニファーとアランとメアリ、この3人に交互に目をこらしていたヘンリーは、我慢できなくなって叫んだ。
「いったい何の話なんだ! なぜ3人で目くばせし合ってる!」
  ねじっていた手はおろしたが、まだレンフィールドを離そうとはせずに、アランがメアリに言った。
「見せてあげなさい」
「ええ」
  メアリはうつむき、手に下げていた、いかにも女の子の持ち物といったかわいい化粧品入れのポーチの紐を開いた。 そして、中から男物の青いハンカチ包みを取り出した。
  細い指がハンカチをほどくと、虹のように光があふれ出た。 きらきらと輝いてメアリの手のひら一杯に広がったのは、色とりどりの宝石の小山だった。
  レンフィールドの目が飛び出しそうになった。 やみくもにメアリに近づこうとしたが、アランの鋼鉄のような腕がさまたげた。
  メアリは無言で、宝石の山をヘンリーに差し出した。 のろのろと近づいてそのきらめきをじっと見つめたヘンリーは、やがてくぐもった悲鳴を上げた。
「お母さんの……お母さんの宝石だ!」
「そうだ」
  アランが辛そうに言った。
「処分すればいいものを、どうしてもできなかったんだ。 いよいよとなったらバラして売ろうと思っていたんだろう」
  ヘンリーの頬が細かく痙攣しはじめた。
「誰……誰が……」
「やめて」
  マグダがつぶやいた。
「やめて!」
  声が次第に悲鳴となった。 椅子に崩れこんだマグダ夫人に、ドドソンが寄り添って手を握った。
  腕を掴まれたまま、もう振り切るのをあきらめて、レンフィールドは若くたくましい男を見上げた。 そして、虚ろな声で尋ねた。
「何者なんだ、おまえは?」
  アランは微笑し、あっさりと答えた。
「怪盗ゲイルだよ。 世間じゃそう言ってる」
「噂とはずいぶん違うじゃないか。 ほっそりしていて豹のように身軽なはずだろう」
  疲れきった調子で、レンフィールドはつぶやいた。 アランは軽くウインクした。
「どちらかというと、噂のほうが正しい」
  そして、自由になる手で絹のシャツを少し開いてみせた。 中に見えたのは、ぎっしりと着込んだ肉襦袢〔にくじゅばん〕だった。
「銀行員だった親父が消えたとき、俺たちはまだ子供だった。 ずいぶん苦労したよ。 路頭に迷い、あやうく飢え死にしかけたとき、拾ってくれたのが曲技団の団長だった。
  地獄のような訓練だったぜ。 それでも幸い俺たちは運動神経がよくて、3年も経ったころには花形になっていた。 だが曲技団は見世物だけじゃ食っていけない。 パトロンを見つけるか、それがいやなら身につけた軽業を使って、金持ちの家に盗みに入るしかなかったんだ」
「俺たち?」
  ヘンリーのぼんやりした問いに、アランはうなずいた。
「俺と、妹だ」
「妹?」
  ほとんど同時に、ジェニファーとヘンリーが声をあげた。 そのとたん、張り詰めていた気持ちがゆるんだのだろう。 メアリがふらっと倒れかけた。
  はっとしてアランが支えようとした。 一瞬手が離れたのを、レンフィールドは見逃さなかった。 アランを勢いよく突き飛ばすと、レンフィールドは出口めがけて突進した。
  とっさのことで、誰も止められなかった。 だがすぐに牧師が黒服の裾をひるがえして後を追った。 アランも全身の筋肉をバネにして追いかけていったが、ヘンリーはメアリを両手で抱きとめ、ふるえながらささやいた。
「君……なんだね、僕が暗闇で切りつけてしまったのは」
  メアリは胸の下を押さえながら、無理をして微笑んだ。
「傷はそんなに深くないのよ。 私も肉襦袢を着ていたから。 ロープを使うときにはいつも着るの。 胴を保護するためと、胸を隠すためにね」
「じゃ、あの台所の血は……」
「ああ、あれね」
  メアリの大きな眼がいたずらっぽくなった。
「お昼前から用意してたのよ。 こっちへ注意をそらそうと思って。 たまたま今日はカツレツってなったでしょう? マックに頼んで、豚の血を採っておいてもらったの」
  いいようもなくほっとして、思わずヘンリーはメアリを抱きしめてしまった。 メアリは顔をしかめた。
「いたっ」
「ごめん!」
  ナイトキャップ越しに金褐色の髪に頬ずりしながら、ヘンリーはささやいた。
「もう離さない」
「だめよ、そんなの」
  口では断りながらも、メアリはうれしそうだった。

 レンフィールドは外に逃げ出さず、一直線に三階へ駆け上がっていった。 そして、書斎に飛び込むと掛け金を下ろし、引出しから鈍く光る拳銃を取り出して、急いで弾を込めはじめた。
  扉には牧師とアラン、それに後から参加したピーターまでが加わって、激しく体当たりした。 3回目でドアはあえなく壊れ、若者たちは勢いで書斎になだれこんだ。
  銃をこめかみに当て、レンフィールドはぎらぎらした眼で三人を見返した。
「生き恥をさらす気はない。 あっちへ行っていろ!」
「待てよ、おっさん」
  アランが静かな口調で言った。
「死ぬ前に、俺たちの父親をどうしたか、言ってくれ。 さもないと、本当に地獄へ落ちるぞ」
  銃を持つ手が小刻みに震えた。 つぶれた声が答えた。
「船荷の手形を受け取ったらすぐ預けると言って、港に呼び出した。 ステッキで殴って、身元のわかるものはすべて取り上げ、埠頭から海に投げ込んだ」
  アランの眼が暗い炎と化した。
「人でなしめ」
「やむを得なかった」
  殺人犯は早口で答えた。
「セアラをはずみで殺してしまったとばれたらお終いだ。 犯人を作らなきゃならなかった。 あの男は、セアラお気に入りの銀行員で、しょっちゅう出入りしていたから、都合がよかったんだ」
「都合がよかっただと!」
  アランが鬼のような顔になったので、レンフィールドはあわてて引き金を引いた。 しかし、弾は出なかった。
  あせったレンフィールドがかちゃかちゃと引き金を引きまくっているうちに、牧師とアランが両側から捕まえた。 観念したレンフィールドは、うなだれて歩き出した。
 
 ひとまずレンフィールドを地下室に閉じ込めた後、男たちは居間に引き返した。 相談の末、牧師が郡当局に知らせに行くと決まって、ピーターが馬車の用意をしに外へ出た。 牧師も興奮状態で手をもみながら、後について出ていった。
  マグダはグレイ夫人に付き添われて寝室に行ってしまっていた。 メアリがドドソンに包帯を巻きなおしてもらっていると、ヘンリーが口を開いた。 彼は挑むように、窓の近くに立ったままのジェニファーを見返し、宣言した。
「あの子を泥棒なんて言わせないよ。 僕が守る。 だからジェニファー。 あなたも秘密を守ってくれ」
  アランがにやっとして言った。
「それでこそ男だ。 ついでに俺のことも見逃してくれるな」
  ヘンリーは横目で友達を睨んだ。
「おまえにはずいぶん嫌な思いをさせられたよ」
「それは恩知らずだわ」
  ジェニファーのひんやりした声が割り込んできた。
「お母様を殺した真犯人を見つけてくれたのも、それにこれまであなたを半年守ってくれたのも、アランだというのに」
  ヘンリーの肩がびくっと動いた。
「何だって?」
  マントの陰から、ジェニファーは白いものを取り出した。 それは先ほど、怪盗ゲイルが彼女のベッド下から盗もうとしていたものだった。
「これは私がロンドンの探偵に依頼して調べてもらっていた、レンフィールドさんの調査書よ。 こういうものがあるって、わざとアランにほのめかしておいたの。 やましい秘密をかかえている人は、探偵と聞けば自分が調べられたと思い込むでしょう?
  だから彼は二度目の盗みを計画した。 おばさまから取ると見せかけて、私の部屋に来たわ。 でもまさか、もう1つ盗み出す計画だったなんて。 やっぱり本職は素人よりうわてね」
「家中みんなを走り回らせて、なかなか面白かったぜ」
  アランは笑った。 ジェニファーは笑わずに、アランの美しい眼に視線を据えていた。
「まず家具を落として、その音でおばさまの部屋にみんなを集め、その間にあなたは私から書類を盗む。 同時にメアリが空き部屋で着替えて、おじさまの書斎に入って隠れる手はずだった」
「そうだ。 レンフィールドは書斎に鍵をかけない。 絶対見つからない場所に隠していると自信があったからだ。
  簡単に見つからないものを危ない思いをして探すより、自分で出してもらうほうがずっと早い。 だからあいつを不安にさせて、隠し場所に行ってもらった。 大成功だったよ。 ヘンリーに出くわしたのがメアリの不運だったが」
  ヘンリーは顔をしかめた。
「言ってくれればよかったんだ。 あんなタヌキおやじより、絶対メアリの味方についたのに」
「君は前からレンフィールドを嫌っていたな。 嫌な雰囲気を感じていたんだろう?」
  アランに問われて、ヘンリーはうなずいた。
「それにしても、半年前から僕を守っていたって、どういうことだ?」
  アランは噴き出した。
「今でもまだわからないのか? レンフィールドは金に困ってたんだよ。 探偵の書類によると、植民地の債券を山ほど買いこんでいたんだ。、アメリカが独立したときに、債券は暴落して紙切れ同然になった。 だから君のお母さんに金を借りに行ったんだ。
  莫大な金額だ。 いくら大金持ちでもおいそれと出せない。 断られて逆上して、お母さんを手にかけてしまった。
  知ってるか? 盗んだ宝石は、そう簡単にはさばけないんだ。 闇の世界は厳しい。 なじんだ俺でさえ、正式な値段の10分の1で売れればいいほうだ。
  だからレンフィールドは、盗んだ宝石を売れなかった。 代わりに君を引き取った。 そして、後見人になって、せっせと財産を横取りしていたのさ」
  ヘンリーの顔が激しく強ばった。 アランはのんびり続けた。
「君はお坊ちゃんで、金のことにはまったく興味がなかった。 だから無事に生き延びてこられたんだ。 でも、もうじき21になる。 成人だ。 つまり、財産を引き継ぐってわけだ。
  レンフィールドはあせった。 強引にソーンダース嬢を引き取ってきて、君と結婚させようとした。 彼女は君を上回る財産家だからね。 うまく口車に乗せて、彼女の財産を君のほうにちょっと移す。 そうやってごまかして乗り切る作戦だったんだ」
  愉快そうに、アランは笑った。
「でも、あいつの思惑は見事に外れた。 君たちは全然仲よくならなかった。 ソーンダース嬢はどんなに迫られても君との結婚を承知しない。 君は君でメアリに気を取られてしまった。 さぞ逆上しただろうな、レンフィールドは」
「メアリはなぜここに?」
  ふとアランの顔が真面目になった。
「自分から言い出したんだ。 君のお母さんが亡くなって得をしたのはレンフィールドだけだ。 初めから怪しいと思っていたんだが、確証をつかめるまではと探りつづけていた。 なにしろ、政界にも顔のきく大物だから、うかつに手は出せない。
  そのうち、メアリのほうが我慢できなくなった。 あの子はちょっと気が短いところがある。 自分が潜入して探り出すと言い張って、まず公爵夫人のところで半年勤め上げ、立派な推薦状をもらってこっちに来たってわけだ」
「そして君は僕に近づいて探ったと」
「まあな。 君の友達ということになれば、レンフィールドも家に招いてくれるからな。 それに、俺はあいつが悪党だと知っているから、君が不審な『事故』にあわないようにしてやれるかと思ったし」
「やっぱり守ってくれてたんだな」
  ヘンリーは溜め息をついた。
「話してほしかったな。 一緒にレンフィールドを倒したかった」
「俺のいうことを素直に信じたかな」
  アランの顔がわずかにかげった。
「君の親を殺した犯人の息子だと名乗ったら」
ヘンリーはうつむいてしまった。

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