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怪盗ゲイル 2


 邪魔者が消えると、マグダはあらためてジェニファーに向き直った。
「あのね、ゆうべ泥棒が入ったの」
  初めてジェニファーの表情がわずかに動いた。 大きなすみれ色の眼でマグダをながめ、ジェニファーは単刀直入に尋ねた。
「おばさまの部屋に?」
「え? ええ」
「それで何が盗まれました?」
「ほら、あのエメラルド。 あなたも宮廷の舞踏会で見たことあるでしょう? 二連になっていて、真ん中にひときわ大きい石があって」
「ええ、よく覚えています」
  すっとジェニファーの口角が上がった。
(この子、おもしろがってる)
  マグダの眼が三角になった。
「笑いごとじゃないのよ。 ここいらじゃ大きな屋敷がまるごと買えるほどの値段なんだから」
  今度は素早く真顔になって、ジェニファーは言った。
「おばさまのことを笑ったわけじゃありません。 もちろん盗難も笑い事じゃないし。  ただ……」
「ただ、なに?」
「いいえ」
  すみれ色の眼が伏せられた。
「何でもありません。 うちも盗まれかかったことがあって」
「ええ、聞いたわ。 でももう8年ぐらい前のことでしょう? それに犯人は子供だったということだし」
「ええ、私が……」
「捕まえたの?」
「いいえ」
  謎めいた微笑がジェニファーの白い頬にただよった。
「逃がしてやったんです」
「なぜ!」
「その方がおもしろかったから」
  ほんとにこの子は…… きれいだが不気味な爬虫類を見るような視線で、マグダはジェニファーを見下ろした。 この屋敷に引き取ってから半年になる。 にぎやかなロンドンから急にオックスフォード郊外の片田舎に来て、さぞ退屈だろうと思うのだが、ジェニファーはそんなそぶりは見せない。 それどころか、どんなそぶりも見せてくれないのだ。 ただひたすら静かで、午前中は本を読むか手芸をやり、昼食の後はお茶の時間まで散歩。 それも遠くへ行くわけではなく、領地の中を散策するだけで戻ってきて、後は夜までおとなしくしている。 誰かが後ろでネジをこっそり巻いているのではないかと思えるほど、ジェニファーの毎日は決まりきっていて、機械的だった。
(こんなつまらない娘は見たことがない)
  マグダは一ヶ月で匙を投げて、この途方もない美少女を主だった席に連れ出すのをあきらめていた。 舞踏会、午餐会、お茶の会に園遊会、犬の品評会に花の審査会。 会と名のつくものはことごとく、ジェニファーには耐えがたいらしかった。
  深く息を吸い込むと、マグダは本題に戻った。
「木からベランダに飛び移ったらしいの。 それから金属の棒か何かで金庫をこじ開けて、宝石箱の中からなぜかエメラルドだけ盗んでいったの。 ああ、くやしいこと! 私がこんなに寝つきがよくなかったら気配を感じたでしょうにねえ! なにしろ、2週間前、裏庭の松の木に雷が落ちたときにも目が覚めなかったんだから」」
  それまで黙っていた牧師が咳払いした。
「早く村の警官に知らせたほうがいいのでは」
  あからさまに馬鹿にした表情になって、マグダは肩をそびやかした。
「まあ、平民の警官にうちを調べさせるなんて! いやですわ、牧師様。 郡の行政担当官に知り合いがおりますの。 そちらに使いをやります」
  牧師はひるんだ。 彼もなかなかの家柄の生まれでケンブリッジ大学を出ているが、貴族ではない。 特権階級のエリート意識にはついていけなかった。
「でも証拠調べなどは早くしませんと」
「夫がやります」
  マグダは断固として言い張った。
「夫はもと軍隊で内部調査担当の少佐でした。 スパイの追跡ができた人が、たかがコソ泥でへまをしたりしないでしょう」
  肩をそびやかして出ていくマグダに、思いついたようにジェニファーが呼びかけた。
「おばさま」
  振り向いたマグダに向かって、ジェニファーは穏やかに提案した。
「探偵を呼びましょうか」
  思わぬ言葉に、マグダはあっけに取られた。
「探偵?」
「ええ。 私の知り合いに、腕が良くて信用できる探偵がいるんです。 この前もちょっと調べてもらって、書類が届いたんですけど」
  ますます不気味な子――決まりきった日常を送っていたように見えて、陰でそんなことを頼んでいたジェニファーに、マグダは油断ならないものを感じ取った。
  そしらぬ顔で、ジェニファーは続けた。
「そうだ。 おばさま、今日もメアリを貸してもらえますか? あの子は器用で、上手に髪をまとめてくれるんです」
「いいわよ。 後でよこすわ」
「ありがとうございます」
  ジェニファーは口元だけで微笑んだ。

  庭ではピーターを従えたレンフィールド卿が木の下から足跡をたどっていた。
「ここから西の塀まで走っている。 花壇を上手によけているな」
「身の軽い奴、すらっとした男ですね」
と、ピーターが口を出した。
「薔薇のとげに引っかかっていません。 この辺は1フィートぐらいしか間があいていないのに」」
「ほっそりした身軽な男、と」
  体を斜めにしたのに、上等なメリノの上着の袖を薔薇に取られて、糸がずるっと伸びた。 レンフィールドはしかめ面になった。
「わしは普通の体型だと思うが、それより細いか」
「そのようです。 ほら、わたしならすっと通れますけどね」
「おまえはガリガリだからな」
  とぶように走っている泥棒の足跡は、やがて塀にたどりつき、そこで途絶えていた。
「外に回ってみよう」
  泥棒とちがって裏門まで行かなければ出られないので、レンフィールドとピーターはずいぶん遠回りさせられた。 
  泥棒がどの壁面を降りたかは、すぐわかった。 古くなった蔦の枝が、そこだけ不自然に折れたりちぎれたりしている。 地面には蹄鉄の跡が不規則に広がっていて、やがてまとまり、林の方へ進んでいた。
  そこまでだった。 深く積み重なった落ち葉がクッションになって足跡を消し、たどることはもうできなかった。
「もう今ごろはネックレスはバラされて、宝石は一個売りされちゃってますね」
  ピーターがのんびりと言った。 レンフィールドは顔をしかめた。
「手際がよすぎる」
「そうですか?」
「そうだとも。 マグダの部屋は三階だ。 斜め下にはジェニファーの部屋がある。 あの子はほとんど宝石を身につけないが、大金持ちだということは知られている。 先祖代代の宝石だっていくつか持ってきているんだ。 だのに、なぜあの子の部屋を狙わん? 部屋のつくりは家内のと同じだぞ。 しかも一階低い。 ずっと入りやすいはずなのに」
「あのエメラルドが特にほしかったんじゃないですか?」
「わしもそう思う」
  レンフィールドはつぶやいた。
「ただの物取りじゃない。 嫌な予感がする」 

  庭から入ってきて、土ぼこりのついたスカートの裾を軽く手ではたいていたメアリは、不意に光がかげったので顔を上げた。
  今入ってきたばかりの裏口を、ヘンリーがふさいでいた。 グレイの眼が睫毛の下で黒っぽく見える。 メアリはゆっくり身を起こして、ヘンリーの整った顔に視線を向けた。
「何かご用ですか?」
「わかってるくせに」
  メアリの濃い青色の瞳がゆらめいた。
「やさしい言葉はジェニファーさまにおかけになったら……」
「君がいい」
  ヘンリーはひたむきだった。 手を差し延ばしてメアリを抱こうとする。 さらっと身をかわして、メアリは二歩後ろに下がった。
  ヘンリーは一歩進んだ。 そして、寂しげにつぶやいた。
「まるで春風みたいにすり抜けていくんだね」
「仕事がありますから」
「庭から来たじゃないか。 ジョッシュじいさんと園芸でもしてたのかい?」
  園丁の名をあげながら、ヘンリーはそっともう一歩前に出た。 するとメアリは3歩後ずさりした。
「髪に葉っぱがついてるよ」
  反射的にメアリが髪を払ったのを見て、ヘンリーの表情が厳しくなった。
「嘘だよ」
  そして、メアリがむっとした一瞬の隙をついて、ひらめくように手首をつかんだ。
  手を懸命にねじりながら、メアリは頼んだ。
「お願いです。 やめてください」
「恋人がいるんだな。 だから髪が気になるんだ」
「ちがいます」
「知ってるんだぞ!」
  思わずヘンリーは大声になった。
「手を取り合ってたじゃないか。 アランと!」
  雰囲気がさっと変わった。 余裕のある様子で受け流していたメアリが、急にぎこちなくなった。
「あの方とは何も……」
「嘘つけ! 何だい! あいつが来て一週間にしかならないのに、もう仲良しか! キスまで行ったのか? もしかしてそれ以上?」
「放してください!」
  メアリも声が高くなった。 聞きつけたのだろう。 キッチンのドアが開き、話題の主、アラン・フィッツパトリックが入ってきた。
「何さわいでるんだ」
  ヘンリーは気まずそうにメアリの手首から指を離した。
「タイミングよく出てくる奴だな」
  さりげなくメアリの横に陣取って、アランは真面目な口調で言った。
「使用人に手を出すな。 権力をかさに着るのはよくないぞ」
「まったく、聖書から抜け出したように堅苦しい」
  うんざりして、ヘンリーは目をこすった。
「誰も無理じいなんかしてないよ。 本気で好きなんだ。 いけないか?」
「いけない」
  白けるほどきっぱりした答えだった。
「君は社会主義者のつもりでも、この暮らしがあっての理想論だ。 上流社会で生きていきたければ、妻は選ばないと」
「小間使いではだめか」
「そうだ」
  前にメアリがいるのに、アランは冷徹に言い切った。 ヘンリーの顔が強ばった。
「じゃ、君はどうなんだ。 もしメアリに惚れたとして」
「僕はかまわないさ」
  これまたはっきりした答えだった。
「僕は貴族じゃない。 郷士だ。 好きになったら幸せにする自信がある」
  さりげなくメアリがアランに寄り添うのを見て、ヘンリーの頬が赤らんだ。
「君なんか連れてくるんじゃなかった」
  半ば本音の捨て台詞を残して、ヘンリーは正午ちかいのに日がかげって薄暗い庭に出ていった。
  残されたアランはそっとメアリを引き寄せ、髪を撫でた。
「すまない。 気にさわることを言ってしまった」
  メアリは分厚い胸の中で、首を横に振った。
「いいのよ。 本当のことだもの。 はっきり言ったほうがいいの」


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