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その2 最初の会話
まだ相手が追いついてこない内に、藍音〔あいね〕は意識的に振り向いた。 彼は今日もまっすぐ前を見て走っていて、自然に二人の目が合った。
ここで軽く頭を下げるか、微笑みかけることができたらな、と藍音はいつも思う。 でも、できない。 誘っているように見られたら恥ずかしいという、厄介な自意識が邪魔をする。
だから相手を確認した後は、すっと視線が流れてしまう。 その横を、均整のとれた体が見る間に抜き去って、次の角を曲がって見えなくなるのが常だった。
その日も、そうなるはずだった。
だが、間近な四つ角から不意に大きなトラックが曲がってきて、二人の行く手を遮った。
普段は大型車など通らない道幅だ。 まちがえて入り込んだか、脇道を通って時間を節約しようとしたのか。 いきなり現われた大きな車体に二人は驚いたが、車の運転手はもっとびっくりしたらしい。 早朝なので人通りはほとんどないと、たかをくくっていたのだろう。
鋭い警笛が鳴った。 トビーが激しく吠えた。 同時にジョガーの男が身を屈めて犬をすくい取り、藍音も引っくるめて横の生垣に押し付けるようにして、自分の身で庇った。
トラックはぎりぎりで角を回り、歩道の線をまたぐ格好でガタガタと走っていった。
その短い間、藍音は焦点が合わないほど近くにあるスウェットシャツのロゴを、短く息をつきながら見守った。
二人の胸に挟まれたトビーは、最初おとなしくしていたが、大型車輪の轟きが遠ざかると、身をよじってクンクンと鼻声を出しはじめた。
男性はゆっくりトビーを地面に降ろし、背中を撫でて誉めた。
「偉かったな、噛みつかなくて」
「トビーは噛まないから大丈夫ですよ」
嬉しそうな顔をしているトビーの代わりに、藍音が反射的に答えてしまった。
すると、膝を曲げて屈みこんだまま、彼が顔を上げた。 目が合って眩しくて、藍音はまばたきした。
「……ありがとう。 びっくりした〜」
「うん」
彼はすっと立ち上がり、肩越しに車の去った方角を眺めた。
「ここは大型車両通行禁止のはずなんだよな」
「だから急いで逃げたんだ」
「ナンバー見た?」
訊かれて、藍音はギクッとした。 そんなこと、考えてもみなかった。 すぐそばに彼がいる、それも強そうな両腕で庇ってくれている、という意識で一杯で、他のことなんかまったく頭になかったのだ。
「見なかったなぁ……」
「おれも」
すぐそう言うと、彼は笑顔を見せた。
藍音は目を丸くした。 この人は、笑うとこんな顔になるのか、と思った。 すごくいい。 真面目な表情も、たまに苦しげに眉を寄せる顔も印象的だが、笑うとキリッとした口元が緩んで、一挙に温かみが増した。
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