ブライアンは慌てず、何事か考えていたが、やがて静かな口調で言った。
「思いもかけないことになったが、うまくやれば、誰も傷つかずに収められるかもしれない」
「えっ?」
エドナはともかく、トビーの驚きは大きかった。
「だって、あんたオーストリア外務省の書記官だろう? おまけに犯人ってことになってるんだし。 いったいどうやって……」
「僕はオーストリア人じゃない。 名前もハインツ・ベルガーじゃないんだ」
トビーはゆっくり腕をおろして座りなおした。
「それじゃ、あんたも……偽物ってわけか」
そこでトビーは気付いた。
「そう言や、さっきリリーちゃんはブリーと呼んだな」
ブライアンの眉が寄った。
「リリーちゃん?」
トビーは慌てて手を振った。
「いや、こっちのこと。 まあたぶん、あんたの本当の身分は3ていう数字に関係あるんだろうが、そうとは知らず、すまなかったな。 ごまかし切れるか?」
ブライアンの顔に、戦前は決してなかった冷たい微笑が浮かんだ。
「やってみせるさ。 シュタインメッツァーは用心深くて、自分の家族さえ騙していい夫、いい父親を演じていた。 どうやっても尻尾がつかめなくて手詰まりだったんだ。 君が殺してくれたことを、シャンパンで祝っている人間がたくさんいるだろう。 たぶん各国の諜報部の連中も」
「オーストリアと戦争にならねえかな」
今ごろトビーはそんなことを心配しはじめた。 ブライアンは笑って首を振った。
「忘れたのか? 暗殺犯はイギリス人のトビー君じゃなく、オーストリア書記官のベルガーなんだよ」
「あ、そうか」
古い倉庫の中は静かだが、外は大騒ぎになっているはずだった。 そのうちこの倉庫も捜索の手が入るかもしれない。 ぐずぐずしてはいられなかった。
「僕をどう始末するつもりだったんだ?」
ブライアンの問いに、トビーは申し訳なさそうに微笑した。
「服を着せて外におっぽり出す手はずだった。 俺の代わりに掴まってもらうってわけ」
ブライアンはうなずき、周囲を見渡した。
「それで、ここからはどうやって逃げ出す? 悠々とドナまで連れてきているんだ。 確実な逃げ道があるんだろう?」
トビーはパチッと指を鳴らした。
「さすが伊達にスパイやってねえな。 実は、こっちなんだ」
そしてトビーはドナにむかって手招きした。
「ランプ持ってきてくれ」
奥の隅にごちゃごちゃと立てかけられた古い建材をどかせると、そこに、『不思議の国のアリス』にあるような小さなドアが姿を現した。
両手を打ち合わせて埃を払いながら、トビーは陽気に言った。
「上の倉庫は19世紀に建てたものだが、この地下室はそのずっと前からあったのさ。 中世の坊主が逢引きに使ったとかいろいろ言われてる抜け道が、向かいのパプに通じてるんだ。 パブの親父が荷物置き場にしてるが、通れないことはないぜ」
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