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星並べ 19


 たちまちエドナの喉に、恐怖が塊となってからみついた。 短く息を途切れさせながら、エドナは横を歩くトビーを見上げた。
「そんなに危険なの?」
「いや」
  安心させようとして、トビーは口元を軽く曲げて笑ってみせた。
「俺はもう追われちゃいない。 あんたは最初から面が割れてなかったみたいだし。
  仕掛けるのは敵じゃないんだ。 俺のほう。 これまでずっと、打てる手は全部使って調べまくってたんだ。 6日前ようやくわかった。 ヘレンの殺しを命令した奴が」
  誰かに冷たい手で触れられたように、エドナの腕に鳥肌が立った。
「トビー ……」
「復讐だ。 イタリア人の言う『ヴェンデッタ』ってやつさ。 家族の仇はこの手で取る。 国がやれないなら、自分で罰するんだ」
「国って、どういう意味?」
「腰抜けの政府は、そいつを国賓で招待したんだよ」
  トビーの眼は機関車にくべられた石炭のように、赤黒くいぶっていた。 こんな凄い目つきの彼を見るのは初めてだった。
「正体がわかったとたんに、奴は自分のほうからイギリスに来た。 これこそ神のお導きっていうんじゃないか?
 おとといその野郎は、あの豪華客船のエンゼル・クイーン号の進水式に出席してた。 さっそく顔を拝みに行ったぜ。 回りは護衛だらけだったが、ひとつ面白いことがわかった。 そいつの書記官の一人が、笑っちゃうほど俺そっくりだったんだ」

  エドナは1つまばたきした。 それからもう1つ。 それでも眼が乾き、唇が震えた。 まさかとは思うが、もし万一 ……
「あんたの敵って、誰?」
  案外あっさりと、トビーは言った。
「ここまで話したんだから、言ったも同じだよな。 レオンハルト・シュタインメッツァー。 オーストリア外務相の片腕と言われている高官だ。 だが陰で反動勢力とつるんでる。 二重スパイを組織して機密を敵味方両方に売り、荒稼ぎしてやがるんだ」
「あの、私が掏り取った紙切れは?」
「連絡用の暗号解読のタネ本だったらしい。 あの後すぐ暗号が切り替わったそうだ」
  文明社会は地球に似ているかもしれない。 しっかりした地盤の上に築かれているように見えながら、下では煮えたぎるマグマが奇怪な流れを作っている。 板子一枚下は地獄…… エドナは思わず身震いした。
「それで、その男をどうやって? 周りを護衛で固めてるんでしょう?」
  小さく首を揺らしながら、トビーは一人笑いをした。
「そう。 普通じゃとてもそばには行けない。 遠くから狙って一発で仕留められるほど、俺はライフルが得意じゃないしな」
  すでにエドナはトビーの話をほとんど聞いていなかった。 思いはひとつに絞られ、掘削機のように激しく胸に食い込んできた。
  行方知れずのブライアン。 別人になりかわって潜入している可能性が高いと、ジョアンナは言った。 スイスとオーストリアは隣国同士だ。 ブライアンがオーストリア人になりすますのは、難しくないにちがいない。
「その悪党、どこに行ったら姿を見られる?」
  唐突にエドナが言い出したので、トビーはびっくりした。
「見たいのか?」
「ええ。 売国奴なんでしょう? あんなに戦争を長引かせたのだって、そいつらのせいかもしれない。 良心のかけらもない人間ってどんな顔をしてるのか、この眼で見たいわ」
「案外普通の顔だよ」
  面白くなさそうに、トビーが答えた。
「悪党って、悪党面してるのは少ないんだ。 だから掴まった後、よく近所が言うんだよ。 まさかあの人が、ってね」
  それから、ぽつりと付け加えた。
「今夜、オペラハウスのコンサートに招待されてるんだってよ」
「見に行こうかな」
「よせ!」
  不意にトビーは鋭い声を出した。
「今夜は絶対に行くな!」
  気を呑まれて、エドナは足を止めそうになった。 トビーは今夜、計画を実行するつもりなのだろうか。
「もしかして……」
「そうかもな。 チクるなよ」
  エドナは憤然となった。
「どうして私が!」
  きつい表情をゆるめて、トビーは苦笑した。
「冗談だ。 信じてるよ。 だが本当に危険だから、今夜はやめときな」


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