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星並べ 17


 中央駅に降り立ったとき、空はどんよりと低く曇り、構内から出てくると、雨粒がぽつりぽつりと落ちてきて、エドナの帽子の羽根に乗り、銀色に光った。
  初夏の雨…… 初めてブライアンに会った日の夕立を思い出して、エドナは胸がうずくのを感じた。 親にも教えられない謎の場所で、いいなずけと娘の身を案じながら、秘密の仕事をさせられているブライアン。 いつになったら戻ってこられるんだろう。 もう戦いが終わって3年近くになるのに。
  もし危険な任務だったら! エドナの体を身震いが貫いた。 不意に押さえようのない不安が襲ってきた。 やっとブライアンの本心がわかったこのときに、もし彼を失いかけているとしたら。
  得体の知れない焦燥感に駆られて、エドナは急ぎ足になった。 早く、一刻も早くロンドンを引き払って、レインフォートに戻りたい。 間もなく連絡係が訪れるとジョアナは言った。 その男がまたブライアンの手紙を持ってきてくれたら、無事がわかる。 彼の字をじかに確かめ、この世にいると信じたかった。
 
  下宿先の大衆食堂は、賑やかに営業していた。 裏口をのぞいてエドナが挨拶すると、店主のガレスが前掛けで赤い手を拭きながらわざわざ出てきて、声をひそめるようにして言った。
「昨日な、あんたを訪ねて若い男が来たよ」
  ブライアンのことばかり頭にあったので、エドナは強く動揺した。
「え…… どんな人だった?」
「色男。 金髪の。 心当たりあるか?」
  誰かに突き飛ばされたように、エドナは戸口に寄りかかってしまった。
「金髪?」
「ああ。 あんたは無事かと訊いてきた。 それだけわかりゃいいんだと」
「また来るって言ってた?」
  ほとんど声とはいえない囁き声で、エドナは尋ねた。 店主は首をひねった。
「いや。 だが会えなくて残念そうだったからな。 また来るかもな」
  力を振り絞って戸口から身を起こすと、エドナは心から言った。
「ありがとう、おじさん」
「いいって」
  にっと笑ってみせて、ガレスはまた忙しそうに中へ入っていった。

  エドナはすぐ、借りている部屋に駆け上がって、荷物の整理にかかった。 足がついたらすぐ逃げられるよう用心して、持ち物は最小限にしてあるため、選んでまとめるのは簡単にできた。
  必要なものを大きな布のバッグに詰め終わったところで、エドナは突然ベッドに腰をおろし、大切に取り出した写真に見入った。 白い歯を見せ、目を細めて笑っている大学生のブライアン。 戦争を経験し、秘密任務に就いて、様々な苦労を重ねた現在では、たぶん雰囲気が変わり、老けて気難しくなっているだろう。 周りにいる帰還兵たちはたいていそうだった。 負傷して酒に溺れ、妻子とうまく行かなくなった男も多かった。
  それでも会いたい。 今すぐ会いたかった。 ここで待っていれば、彼が来てくれるとしたら……
  だが、昨日会いに来た金髪青年がブライアンだという保証があるわけではなかった。 故郷の母にさえ姿を見せられないのに、この人目が多いロンドンで、堂々とエドナを訪ねてくるだろうか。
  半時間ほど思い悩んだ末、エドナはしぶしぶ決意した。 確実でない訪れを待って、将来を危険にさらすことはできない。 約束通り、一度レインフォートに戻り、向こうで働きながらブライアンを待とう。 またその金髪男が訪ねてきたら、名前をぜひ訊いておいてくれと、ガレスには頼んでおこう。 そのために、後1ヶ月だけ下宿をこのまま借りておくことにした。 エドナはバッグを両手に下げて、さりげなく裏階段を下りていった。

  階段を下りきって、地面に足をつけると同時に、横から低い声がした。
「よう」
  ぱっと振り向いたエドナの前に、ハンチング帽をあみだに被ったトビー・パーカーの笑顔があった。

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