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星並べ 16


 それから2時間あまり、エドナはジョアナと頭を寄せ合って、ブライアンの幼い日々を写したアルバムに見入った。
  大きなボタンのついたコンビネーションを着て危なっかしく立っている1歳の誕生日写真から始まって、帽子のリボンをくしゃくしゃにしている3歳、むく犬を抱いた6歳、クリケットのバットを手にほほえんでいる15歳、そして友達と肩を組んで髪を風になびかせている18歳と、どれも初めて見るのに、間違いなくあのすっきりした姿、暖かい表情だった。
「他にもアルプスに登って威張っているのがあるのよ。 スイスに置いてあるんだけど」
「幸せに育ったんですね、彼は」
  何度もアルバムをめくり直しながら、エドナはしみじみと言った。
 
  やがてエルシーが昼寝からさめ、3人は夕食を取った。 ナプキンを出してきたり新しいスプーンをおろしたりと、キッチンを忙しく歩きまわりながら、ジョアナは活気づいてよく笑った。
「やっぱりいいわねえ、誰かと食べるのは。 教会の集まりやお茶の会だけでは物足りない。 ねえ、ドナ。 ドナと呼んでいいわよね。 物価の高いロンドンより、こっちに来て住まない?」
  エルシーの口をナプキンで拭きながら、エドナはあいまいな微笑を浮かべた。 この小旅行の目的は、何がなんでも、たとえ脅迫という手段を使っても、エルシーをブライアンの母に引き取らせることだったのだ。 エルシーの未来を確かなものにするために、エドナは娘を手放す決意をしていた。
  だが思いがけなくもうれしいことに、その悲しい計画は必要なくなった。 ジョアナは孫娘を大歓迎している。 となると、残る問題はエドナ自身の身のふり方だけだった。
「ロンドンでは花売りをしているんです」
  真実の半分だけを、エドナはジョアナに告げた。
「この子のために、いくらか貯金をしています。 これまでは絶対使えないお金だと思ってきましたが、ブライアンがエルシーの将来を考えてくれているなら、私は、その貯金を元手に何か、そう、花屋さんをやってみたい」
  思いついて話しているうちに、望みがふくらんで気持ちが乗ってきた。 眼を輝かせながら、エドナは素早く計画を立てた。
「うちの父は庭師だったんです。 だから花の種類とか球根の植え時とかよく知ってます。 半年ぐらいどこかの店に勤めて経営の仕方を見習います。 そして小さなお店を開いて…」
「それはいいわ」
  ジョアナはすぐに賛成してくれた。 思い当たることがあるらしかった。
「あなたは帽子の飾り職人だったんでしょう? そういう仕事はブーケやコサージュ作りにとても役立つと思うの。
  婦人会の集まりなんかで、よく胸に花を飾るのよ。 ほら、パリのファッションがこんな田舎にも入り込んできてるから。 戦争で交流が深まった影響でね。
  今がチャンスかもしれない。 都会仕込みのセンスで、きっと成功するわ!」
  わくわくして、エドナは両手をぎゅっと握り合わせた。


 その晩は二階に泊めてもらい、翌日エドナが一旦ロンドンに戻って、改めて荷物を持って町に来ることに話が決まった。
  興奮して、夜遅くまで眼が冴えていた。 あまりにも様々なことがあった一日だった。 思いがけず歓迎してもらい、ブライアンが気にかけてくれていることを知り、そしてエルシーの将来が保証されたこの日。 列車の中で胸を占領していた不吉な予感は霧のように晴れ、瞼を閉じると白く光る道が前に広がっているのがはっきりと見えた。
  道は開けたが、先は長い。 苦労はまだまだ続くのだ。 それでも今は希望があった。 そして、これまで得られなかった心の平和も。
 
「いい子だから、ジョアナさんのいうことをきいて、おとなしくしてるのよ」
  エドナは屈みこんで、不安そうな娘の顎を軽くひねった。 これまで丸一日母と離れていたことのないエルシーは、エドナが今夜帰ってこないと聞いて、泣きべそをかきそうになっていた。
「明日の夕方には絶対帰ってくるから。 おみやげ、何がいい?」
「ええと、ピーター・ラビットの絵本」
「わかった」
  チュッと小さな額にキスして、エドナは弾む足取りで鉄道の駅に向かった。

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