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星並べ 15


 わからない……?! わからないって、どういうことだ。 しかもジョアナは、その相手にパイを送ろうとしている。 からかわれているのかと、エドナは表情を強ばらせた。
  ジョアナは食器棚の中頃についている引出しを開け、手紙の束を取り出してエドナに見せた。
「これで6年分。 戦争中はわりによく届いていたのよ。 なのに戦後は1年に1通、それも郵便局からじゃないの。 ほとんど何も書いていないわ。 無事だと知らせるためだけに送ってくるみたい」
  エドナは思うように動かない指で、一番上にあった封筒を開け、中の紙を取り出した。
  それは普通の便箋ではなく、ただのぺらっとした紙だった。 その上に、確かにブライアンの字で、3行だけしたためてあった。
『僕は元気です。 お母さんもお元気だそうですね。 いつもこればかりですみませんが、エドナとエルシーが見つかったらすぐ、ポールに知らせてください』
「どういうことなの」
  無意識に言葉が声に変わっていた。 ジョアナがそばに来て、ごく小さくささやいた。
「秘密機関らしいの」
 
  エドナの大きな眼が、ジョアナの栗色の眼を捉えて動かなくなった。
「ちょっとこっちへ」
  台所の通用口から離れた階段の下までエドナを連れて行っても、まだジョアンナは声をひそめていた。
「こんな用心はばかばかしいと思うでしょうけど、去年スパイの上陸事件があったし、できるだけ近所には聞かれたくないから」
  エドナは力を入れてうなずいた。 ジョアンナの気持ちはわかりすぎるほどわかった。 何しろ身近で知り合いが殺されたのだから。
「私の母はドイツ系で、ブライアンは毎年夏休みにスイスの母のもとへ遊びに行っていたの。 だからドイツ語が英語と同じぐらいうまいのよ。
  それであの金髪、青い眼でしょう? 完全なゲルマン人に見えるから、諜報部の仕事をさせられていたらしいの」
  エドナは万力で胸を絞められたようになってあえいだ。 諜報部。 つまりスパイということなのか。 暗号文を盗んだだけで殺されたヘレンを思い、エドナは恐怖で吐き気がしてきた。
「ヴェルサイユ講和条約のときにパリ郊外でブライアンを見たという人がいるの。 たぶん通訳か文書の翻訳をしていたんだと思うわ。
  かわいそうな子。 あんなにあなたたちに会いたがっていたのに。
  ここに書いてあるポールというのはね、表向きはいかけ屋〔=鍋や鎌、包丁などを直す渡り職人〕として各地を回っていて、毎年もう少ししたらここに来るの。 たぶん彼も警察関係かまたは第三列〔=英国のスパイ組織〕だと思う。 この手紙を持ってきてくれるのは彼なの」
  エドナの眼が部屋中をさまよった。 だがその眼は何も見ていなかった。
「ブライアンは……ブライアンは、サザンプトンに本当に帰ってきたんですね」
「ええ、たぶん。 でも汽車には乗れなかった。 任務だといって、否応なくまた連れていかれてしまったんでしょう」
  エドナはテーブルにもたれ、それでも体を支えきれずにそばの椅子に座り込んだ。
  国家は個人を踏みにじる。 国を守るといって男たちを連れ出し、ガルガンチュワのように丸呑みにする。
「返して」
  かすれ声がエドナの喉から押し出された。
「私の彼を、エルシーの父親を返して!」
「そうよ。 私の息子を今すぐ返してほしい」
  ジョアナの声は湿っていた。

  身分は国家公務員になっているらしいブライアンの給料は、きちんきちんとジョアナの口座に振り込まれていた。 相当の金額で、ジョアナはその大部分をエルシー名義で積み立てていた。
「だってそれがブライアンの意思だし、エルシーと名をつけてくれと頼んだのは私だもの」
  とジョアナが言うので、エドナは眼を見張った。
「そうだったんですか?」
「ええ。 エルスペスというのは大好きだった姉の名前よ」


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