表紙
表紙目次前頁次頁総合目次


ホームランその4

   オーッという声と、まばらな拍手が聞こえた。 だが孝美自身は、あっけに取られてグラウンドの外れを見つめるばかりだった。
 なんで? なんでこう簡単に結果が出るの?

 しかし、次の一球は力んでしまった。 遠くへは飛ばなかったが、ポテンヒットだよ、とピッチャーが慰めてくれた。
 そして、四球目。 カーブだった。 今度こそ、孝美は確信を持って振りぬいた。 ボールは夢見た通りの放物線を描いてグラウンドを越え、網の向こうにぼさぼさと生えている雑草の中へ落ちた。

 ピッチャーの三木が、腕をおろして言った。
「どうしたの?」
 後ろでバットスイングをしていた吉永が続けた。
「コツ掴んだみたいだね」
 汗を拭きながら外野から戻ってきたファーストの佐藤が、口を突き出すようにして言い捨てた。
「フロックだよ。 たまたま」
 孝美のポジションもファーストだった。 佐藤は通り過ぎながら、きつい言葉を残していった。
「マッサージだけが取りえじゃない。 あんま無理すると、肩こわしてその取りえもなくなるよ」

 練習が終わり、いつものように後片付けしながら、孝美は夢心地だった。 ちょっとしたヒントで、こんなにバッティングが変わるなんて…… いや、ちょっとしたことじゃなかったのかもしれない、と、孝美は気がついた。 よく観察して、欠点を見抜いていたからこそ、的確なアドバイスができたのだ。
 でも、森本が私を見てた?――それが一番信じられなかった。 森本洋介は野球部のエースピッチャーで三番打者だった。 身長は百八十八センチ。 美男揃いの野球部でも目立つイケメン。 そのわりに物静かで穏やかなしゃべり方をしたが、いつも熱狂的ファンに取り囲まれていた。
 首を傾げすぎて、肩が痛くなった。 あわてて孝美はロッカーに道具を入れ、バッグを揺らして校門を飛び出した。

 森本にどう御礼したらいいだろう。 急ぎ足で帰り道をたどる孝美の首が、また傾きかけた。 これまで運動一筋で、男の子と付き合ったことがない。 男友達は、というか、仲よく喧嘩する相手はクラスにたくさんいるが、彼らが何を欲しがっているかなんて、まるで見当がつかなかった。
「ノートやシャーペンみたいな勉強道具じゃかえってイヤミだしなー」
 野球部員が授業中そろって机に突っぷしている(つまり、寝ている)というのは、有名な事実だった。
「かと言ってだね、男の子にケーキというのも」
 要らねーだろうな、と語尾を飲み込んだ。 やはり好きなのは肉だろう。 例えば牛のフィレステーキ。
「いくらだ?」
 今月の小遣いが吹っとびそうだった。 それに、他の部員に隠れて一人だけ肉をかかえこんで食べられるものだろうか。
「なんかなー」
 悩ましい。 孝美は空いたほうの手で髪をごしごし掻いた。

 夕暮れの街角には、今日もピンク・ウサギがいた。 思い切って本人に訊いてみようと決め、孝美は軽い足取りで近づいた。 そして、人通りが少し途切れたところで、そっと話しかけた。
「森本! ありがと。 ほんと助かった! それでね、なんか私にもできることない? 世話になっただけじゃ心苦しいから」
 ウサギは体を動かし、聞き慣れない声を返してきた。
「うきょ。 あんた森本を呼び捨て?」
 あ……孝美はその場で棒立ちになった。



写真:NOION
Copyright © jiris.All Rights Reserved
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送