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ホームランその3

   孝美は目が覚めたようになった。 これまでそんな理論的なことを教えてもらった記憶はない。 コーチは優秀な生徒にかかりきりで、その他大勢の孝美には見向きもしなかった。
「バットが重いとどうしても振り遅れる。 急いで振り切ろうとすると体が泳ぐ。 それで結局勢いのないゴロになるんだ」
「じゃ、軽いのを長く持ったほうがいいんだ」
「そういうこと」
 飲み込みの早い孝美に、洋介は笑顔でうなずいてみせた。

 あいにく軽めのバットを持ってきていなかったので、それからは細かい修正になった。 軸を保って体をきちんと残すことと、脇を締めること。 どれも知ってはいたがうまく実行できていなかった部分だった。
 二十分ほどやって、洋介からOKが出た。
「よーし。 形はできた。 後は実際にやってみるしかないな。 明日の打撃練習で試してみな」
「うんっ」
 九月半ばでまだ緑色の木々が繁る境内に響き渡るほど明るく、孝美は大きい返事を返した。
「じゃ、俺はこれで」
 洋介は、さっと身一つで歩き出した。 孝美はあわてて後ろから声を掛けた。
「ありがとう、森本くん!」
 振り返らずに、洋介は答えた。
「森本でいいよ。 じゃな」
 そこで思いがけなく立ち止まり、彼はもう一言付け加えた。
「帰ってから練習すんじゃないぞ」
「へ?」
「いい感じで決まったら、そこで止める。 おまえくそ真面目だかんな、練習しすぎて姿勢が崩れたら、そのまんまで体が覚えて台無しだ」
「あ、そうか」
 いちいち納得だった。 孝美は、木立に消えていく洋介の後ろ姿に手を振って、B’sの曲をハミングしながら道具を片づけ出した。


 翌朝学校へ行く前、鏡に向かって、孝美は打撃姿勢を確認した。 すぐに打てるとは思わなかったが、これまでより体の芯がしっかりして、落ち着いて振れるのが嬉しかった。
「毎日確かめよう。 どのぐらいの軽さがいいか、学校のバットで調べなきゃ」
 そう思うと、練習に行くのが久しぶりに待ち遠しい気がした。

 補欠はいろいろ後回しになる。 レギュラーが打っている間、地味な守備練習を繰り返していた孝美が、ようやく打撃投手の前に立てたのは、もう四時半を回った頃だった。
 これまでと同じタイミングでいいんだ、と、孝美は自分に言い聞かせた。 バットが軽いから回転が速くなるし軌道が波打たない。 リラックス。 リラックス。
 一球目は肩の横を通った。 大外れのボールだ。 危うくよけた孝美を見て、ピッチャーが頭に手をやった。
「めんご、めんご」
「いいからチャッチャと投げる。 時間ない!」
「おーし」
 今度は集中して投げてきた。 速い! 気持ちのいい直球だった。
 ああ、楽しいな、と孝美は思った。 これまではいつもいらいらしていた。 なんで思い通りにヒットしないんだろうと道具に当り散らしたこともあった。 でも、もう違う。 あっという間に近づいてくる球が、よく見えた。

 バットがスムーズに出た。 いつものボスッという鈍い音ではなく、コーンと軽い響きが残った。 ボールは白い光を残してネットを飛び越え、グラウンドのはるか彼方へ消えていった。



写真:NOION
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