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ホームランその2

   翌日、いつもなら五時半まで練習のところを、孝美〔たかみ〕は口実を作って四時四十分に学校を後にした。 いつも最後まで残って用具の片づけまでしていくので、珍しがられた。
「お兄さんが来るの? いいな、ついてって食事でもおごってもらおうかな」
 サードの吉永がそんなことを言い出したので、孝美はあせってスポーツバッグとバットの袋をぶっちがいに肩に掛け、裏口から飛び出した。
「兄貴はケチで、人におごったりしないよ! おまけにブスだし!」
 本当はイヤミなほどジャニーズ系な兄だった。 なんで似なかったんだろう、と心の中で文句を言いながら、孝美は自転車を飛ばして、一キロほど離れた蓮暁寺〔れんぎょうじ〕に急いだ。

 途中でだんだん白けてきた。 山之内、と名前を呼んだからって本物の野球部員とは限らない。 顔見知りの同級生のおふざけかもしれないのだ。
 行って誰もいなかったらカッコ悪いな――孝美は片手をハンドルから放し、脇のバットを握りしめた。
「それよりいたずらが目的だったらもっと困る。 こっちはバット持ってるんだからね。 腕力だって鍛えてるんだから」
 襲ってきたら、ボコッと一撃! 境内のケヤキに自転車を預けて、孝美はバットケースから一本取り出し、しっかり掴むと肩を怒らせて奥へ入っていった。

 間もなく、広い縁側に腰かけている若い男が見えてきた。 孝美の足が、がくっと止まった。
 まさか……森本?

 近づいてくる人の気配に、森本洋介〔もりもと ようすけ〕は顔を上げた。 そして、動きを止めた孝美を見るとすぐに立ち上がって声をかけてきた。
「早かったな」
 確かに時計はまだ五時五分前だった。
 あせって、孝美は初めに思いついたことを口走ってしまった。
「あのデカウサギ、森本くんだったの?」
 森本はニヤッと笑った。 すると評判の口元がきれいな弧を描いて、なんとも魅力的な表情になった。
「時給千ニ百円だぜ。 クソ暑いけど」
「汗かくのは慣れてるもんね、お互い」
 本当に野球部員が、それも部で一、ニを争う人気者が待っていてくれたので、孝美はすっかりご機嫌になっていた。
 森本はすぐ真顔に戻り、孝美のぶらさげているバットに目をやった。
「振ってみな」
 え? ああ、そうだ。 孝美はすぐに反応し、スタンスを取って構えてから、ぐんと振った。
 森本は言った。
「もう一度」
 孝美はまた力を込めて振った。 森本は小さくうなずき、思いがけないことを尋ねた。
「もっと軽いやつ持ってないか?」
 軽いバット? 孝美は使い込んだ愛用のバットを見下ろした。 握りがすでに黒光りしている。 長い間折れないし、最高に気に入っていた。
 つい、声に元気がなくなった。
「これじゃ私の力が足りない?」
「いや」
 森本は真面目に答えた。
「ヒット打つにはいいと思う。 でもホームランがほしいんだろ? それならさ、重さよりバットヘッドのスピードだ。 遠心力で長距離飛ばすんだ」



写真:NOION
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